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東京都目黒区自由が丘1−3−28
メゾンドフリュール102

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がんの自然退縮を知る

がんの自然退縮

 がんの自然退縮は身体の抵抗力や免疫力を強化していけば起きるのではないか、鍼灸は身体全体の体質改善を目標とするものだからがんの自然退縮を促進させるのではないか。

 がんには自然退縮例があること、治っている方が多くいらっしゃること、 玄米菜食や断食、瞑想、気功、SOD食品の摂取などにより、それぞれのがん患者さんがご自分で努力されて養生に努めていらっしゃることをこの病院で知りました。来院される患者さんの多くは健康そうに見える普通の方々でした。外来の方は一人で通院してくるくらいですから、人によってはがんでない方より元気な方もいらっしゃいました。

 そして人より明るく積極的で元気な方が結構数多くいらしたのに気づきました。それらの患者さんからさまざまなことを教えて頂きました。

 『いのちの田圃』(ガンの患者学研究所発行)、『あなたと健康』(あなたと健康社発行)といったその後のがんの治療方針の大きな参考になる冊子を知ったのもこの頃でした。


がんの手当てを中心にすることを決める

 免疫のことを学んでいくと私達の体には毎日突然変異してがん化している細胞が発生している。それを免疫担当細胞(リンパ球など)が貪食しているので殖えていかない。 しかし体の免疫細胞の力が弱くなったり数が減ったりし、また突然変異細胞の数がどんどん増えていけば当然消しきれないがん化細胞が増え始める。これが一定の大きさになって医師に発見されればがんと診断される。

 このことを理解したとき自分の中で「ああ、自分の体の中にもがん細胞はあるのだ。ただそれが腫瘍を構成するほどには数が増えていないだけなのだ。いやもしかしたらただ見つからないだけかもしれない。そうだとしたら自分と患者さんの違いはあるのだろうか?」と思い至り、このとき癌は誰でもなる可能性のあるごく一般的な病気なのだと思いがんへの特別な意識が無くなっていったようです。

 そして身体の抵抗力や免疫力を強化していけばがんの自然退縮は起きるのではないか、鍼灸や手当て法で身体全体の体質改善につなげればがんの自然退縮を促せるのではないかと考えました。

 その後2002年1月に病院を退職した時には、それまでの経験からがんに鍼灸やさまざまな手当て法は大いに役立つことができると考え将来はがんを治療する鍼灸院を開きたいと思っていました。そして鍼灸院を開くまでの間、往診でがん患者さんの手当てをしていました。

がん治療の鍼灸院を開業する

治療院の待合室。

治療院の待合室。

 2002年10月、東京の自由が丘でアパート併用住宅である実家の一室を改装して小さな鍼灸院を開業しました。

 これまでの経験を活かしてがん治療、手当てを中心にすることにしました。治療室は6畳くらいのスペースにベッド一台のごく小さなものでもしかしたら日本で一番小さい鍼灸院かもしれません。

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玄米菜食を学ぶ

 玄米菜食を学ぶために東城百合子先生が主宰するあなたと健康料理教室に通いました。元気ながん患者さんが多く取り入れている玄米菜食とはどういうものか自分で確かめないと患者さんに勧められないからです。

 料理教室はただの玄米菜食料理を教える場ではありませんでした。修養の場でした。何が大切なのか、命とは何か、などそれまで日常生活にかまけて面と向き合わないで済ませてきたことに、正面から向かわされる厳しい心、魂の鍛錬の場でした。

 自分のそれまでの生活や考え方の間違いが病を引き起こしている。病は天から「今の生活を正しなさい」というメッセージなのですなどと諭され、目を見開かされた思いがしました。

 玄米菜食はとてもおいしいものでした。見た目は質素のようでいて手間ひま、愛情をかけたとても贅沢なものと判りました。

 土鍋に入れて圧力鍋で炊く方法でできる玄米はふだん家で電気炊飯器の玄米モードで炊いているものとはまったく別物でした。ふっくらと膨らんで被っている殻が圧力で破れた玄米は歯ごたえもプリプリしていてとても美味しいものでした。

 肉、乳製品を避けた菜食も当初予想していた味気ない質素なものではまったくなく旬の野菜をメインに彩りも鮮やかに工夫した目で食べても美味しいもので、調理途中で出た切りくずなどもお焼きにして使い切るなど一片の野菜の命もおろそかにしない態度も学べるものでした。

 玄米が炊き上がるまでの間に東城先生の講話があるのですがそこで多くのことを学びました。がんに関しては以下のようなことを話されました。

 ★現代医学の力を使わないといけない方もいるががんのような慢性化した病は内から湧いて出てくるものなので食べ物を自分で変えて自分で治す。

 ★がんは体質。がんになりたい細胞がある。これを変えるには7~10年かかると言われている。時を稼いでその間になにが本当かを学んで人生の意味を考えればよい。

 ★病気を治すだけでは空しい。病気をきっかけにして運命を変える。自分の力で人を当てにしないで自分で工夫して自分を育てる。何のために病気を得たかを学ばないと病み甲斐がない。

 ★やってみないとわからない。自分が育つために自分で治す。

 ★何が一番大事か?それは「自分がどこから来てどこへ帰るか」を学ぶこと。人は一生かかって自分を理解していく。

 

 ★何が良くて何が悪いかではない。病院にも役目がある。役割が違う。自然療法だけとか現代医学だけとか自分を狭くしてはいけない。学ぶ。知識を得る。 そして自分の体に聞きながら、自分で経験して、知識を知恵に変えていく。

 ★今、病気をしている人は過去を見ないといけない。根を観る。心の持ちようを観る。

 ★人は体験しながら毎日成長していく。心が変わっていく。がんでも治る。

 ★食べ物を変えればがんは治る。でも心を変えないと治りにくい。

 ★両親や祖父母にがんの人がいて自分ががん体質、がん遺伝子を持っていることを恨んではいけない。自分なりの工夫をして生きていく。「氏より育ち」と言って、変えていける。体験を通して。

 私がこの玄米菜食の料理教室で学んだことはたくさんありますが、 中でも「私達は他の生き物の命を頂いて生きている、生かされている」 「私達は一人一人使命がある」という点に改めて気づかせて頂いた事が最も価値のある収穫でした。

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びわの葉療法を知る

当院のびわの樹

 びわの葉療法もあなたと健康社で初めて知りました。びわの葉療法には温灸やエキス、びわの種などいろいろあります。あなたと健康社の玄米菜食の料理教室で同じテーブルの方に3人の乳がんの方がいました。その方たちに手術後の傷跡にびわの葉を貼り付けておくだけで痛みが早く引いたことや、傷がきれいに仕上がったことなど、びわの葉療法の効果のことを教えていただきました。

 また自分がフライパンで左人差し指を火傷したとき、すぐびわの葉エキスの入った小瓶を貸してくださった方がいて、このエキスを繰り返し痛くなった指にスプレーしていたところ、料理教室の終わる頃には傷みも引き、翌日まったく痕もなく普通の指に戻っていたのにも驚きました。これが私にとって初めてのびわの葉療法体験でした。

 ある日、一日の教室が終わった時、講師の方が「今日はビワの種があります。欲しい方はどうぞ」と配っていたので幾つか頂き、どのようにして一日いくつくらい頂けばいいか聞いたところ、「貴方はがんなの?もしがんでないならびわの種は食べてはいけません。強すぎてかえって体に良くないです」と言われました。

 その後、自分の治療院を開設後、びわの葉温灸を採用していますが効果が高いことに改めて驚ろいています。ある県の農業試験場に勤務している友人に聞いたところびわの葉や種に含まれるアミグダリンは青酸配糖体となっておりヒトの体内に吸収されると選択的にがん細胞に効果を及ぼしているらしいとのことでした。

 びわはまさにグリベッグ、ハーセプチンといった最新の分子標的薬剤と同等の、自然の分子標的薬の樹だったのです。古代、お釈迦様がビワの樹のことを「薬王樹」と言われたこともうなづけるというものです。びわの葉療法はがん治療に欠かせません。

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自然療法を学ぶ

里芋パスタを貼ったところ

 がんへの鍼灸に自然療法を加えたいと前から考えており、あなたと健康社で生姜湿布、こんにゃく湿布、豆腐パスタ、里芋パスタ、びわの葉温灸などを見学しました。その後、自分でも体験したかったので神奈川県横浜市の養生庵で生姜湿布、こんにゃく湿布を体験させていただきました。この治療院を開業された門多悦子先生はご自身も胃がんを患われた方ですが、手術をせず徹底した自然療法と玄米菜食などの食事療法で治された方です。

 またガンの患者学研究所で製作中の市川加代子先生による手当法のビデオ製作をお手伝いした際にも手当てのコツや彼岸根(ヒガンバナの根)パスターなどのやり方を大変詳しく教えていただきました。

 市川加代子先生は京都で自然療法や手当ての講習会を開催したり自然食品の店を運営されている知る人ぞ知る自然療法の先生です。2003年4月に東京で開かれたガンの患者学研究所主催の千百人集会では手当ての講習会も担当され 多くの癌患者さんにその技術をお伝えしていました。

 これら自然療法による手当てを学ぶ時いつも思うのは、身近な自然、特に植物達の有り難さです。以前、青森秋田県境の白神山地や日本各地のブナ林の保護活動に関わったり、日本自然保護協会の自然観察指導員として 観察会活動などをしていた経験があるのですが、植物はまさにヒトや動物、昆虫といったすべての動物達の食物であり、薬、そして精神的な拠り所だと思うのです。

 私達はこれから、今までよりもっと一生懸命、その保護や拡大に努めないといけないと思うのです。それがひいては私達の命を守り、がんなどの病から回復する手段になっていくのではないでしょうか。

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千百人集会を手伝う

 千百人集会のボランティアとして私は分科会の司会、物販や事務局の応援を少しさせて頂きました。がんの手当てをしている治療師として多くの患者さんの生の声を聞きたかったのです。

 千百人集会はNPO法人「ガンの患者学研究所」主催で2003年4月19,20日に、 東京・成城学園のNTT東日本研修センターにて開催されました。千百人集会はがんを治したとされる方を多く集め、その方々の経験を聞いて参考にして頂き、今がんと闘病中の方に「自分も癌を治せる」と思って頂くことで精神面からの免疫アップを目指したもの、と私は理解しています。

 実際にはがんを治した大勢の患者さん(百人以上!)を壇上に集め、「こんなに多くの治した人がいるんだ」とその姿を見て強く希望を持ってもらい、その後約40人ずつ26の部屋に分かれそこを8人前後の元がん患者さんが訪問しご経験を話されて今後の闘病の参考にしていただく。

 そして最後に治したい方が大ホールの壇上に上がって「自分も治る!」と宣言され、千百人以上の会場の皆から「○○さんは治る、治る、治った、おめでとう!」と一人一人祝福されるという感動のフィナーレで幕を閉じました。他にも手当ての実演教室、主催者代表の川竹氏による講演など盛りだくさんの内容でした。

 終了後持たれたスタッフお疲れ様会にお呼び頂いた際に川竹さんからこれまでの苦労話をいろいろお伺いしましたが、それでも川竹さんが思った一念が現実に千百人以上の人を集めた大会として、ここまで見事に開花し、数多くの癌患者さんに希望を与えることができたことが大変、素晴らしかったと思います。

 千百人集会は私に人間の持つ可能性の豊かさを教えてくれた大きな学びの場でした。

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砂療法・砂浴を体験する

砂療法 砂浴

 砂療法をしに何人かのがん患者さんとともに湘南の大磯海岸に行きました。そのうちのお一人は当院に通われている方でした。東城百合子先生のあなたと健康料理教室の助手をされている方が砂療法に誘ってくださったのです。

 砂療法は砂の中に首だけ出してただ入っているだけで体から様々な毒素が出て素晴らしい効果をもたらすとされています (『自然療法』東城百合子著、あなたと健康社)。私は砂療法をあなたと健康社の料理教室で初めて知りました。

 海岸の砂に一日潜っているのです。民間療法でフグの毒に当たった人を土に埋めて解毒する、ということがあるらしいのですがそれと砂療法は同じです。始めはそんなことで病気が治るのかとも思いましたがアトピーが治ったとか神経痛が治ったという話を実体験として聞いたので自分もぜひ一度砂療法を体験したいとずっと思っていたのです。

 2002年の夏は鍼灸院開業直前で時間がなく、今年も冷夏で体験できないかと思っていたところ通院患者のIさんが砂療法に行くというのでお供しました。

 その日は午前中まで東京では台風15号の雨が降り、また北風が冷たい北の寒気を運び込み関東地方は11月初旬の冷え込みでしたので砂も濡れて気温も低く砂療法は難しい状態かと思われました。

 しかし海岸の砂は表面は乾いていたので穴を浅く掘り、温かい砂を体に掛けることで大丈夫でした。午後からは日も強くなり気温も上がって砂も焼けて絶好の砂療法の環境になりいつしかウトウトと寝てしまいました。

 目が覚めて、潮騒を聴き、夏から秋に替わったウロコ雲で美しい空を見ていると幸せでした。都会で過ごしていると季節感がなくなりがちですが、自然界が劇的に替わる一瞬に立ち会えたことを天に感謝しました。

 そう言えばこの日は朝からすべての物が美しく、冴え冴えと輝いているように見えた日でした。自然に触れて 自分の感性を取り戻すことは霊性の向上に繋がるようです。

 砂の中ではドクン、ドクンと手足が脈動するのが感じられ、しばらくすると気持ちよくなって寝てしまいました。初めてなので4時間ほどで砂から出ましたがけだるさが残りました。これは砂療法のためというより、軽い日射病だったと思います。

 共に砂療法をされた方は、胃がん、悪性リンパ腫、膠原病といった病の方々でした。後日談を聞いていないので効果の程は分かりませんが、あのリラックスした時間中は確かに副交感神経が優位になって毒素の排泄だけでなく体を回復させる力が向上するだろうと感じました。

 *今はがん治療には解毒が重要であると分かって生姜湿布、里芋パスターなどの手当てを治療に取り入れておりますが、体内毒素の効果的な排泄を自分でかんたんにできるこの砂療法は自助療法としても大変素晴らしいものと改めて思います。

 環境汚染が進み、身体に取入れる空気、水、食物が汚れている現在では体内に毒素が溜まるのは必然でしょう。砂療法による積極的な毒素の排泄=解毒は、がん患者さんだけでなくいまやすべての方に必要ではないでしょうか。

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『シルバーバーチの霊訓』と出会う

シルバーバーチの霊訓

 『シルバーバーチの霊訓』(近藤千雄訳、潮文社)には2003年9月に出会いました。 がん患者さんの心を安らかにできるものを捜し求めていた私にとって『シルバーバーチの霊訓』はまさに干天の慈雨でした。むさぼるように読みました。

 「シルバーバーチ」とは他界後3,000年近くにわたり霊界を進化、向上し続けてきた霊の名前です。この霊が1920年から1980年までの約60年の長きにわたり、モーリス・バーバネルという当時イギリスのロンドンに在住していたジャーナリズムに携わる人物の身体を借りて語った内容をまとめたものが『シルバーバーチの霊訓』です。

 「あなたとは何か」「なぜ生まれてきたのか」「なぜ病や苦しみがあるのか」といった、私たちがこの世ではとうてい理解しきれない事柄を霊界からの視点で判り易く諭しています。

 「死んでからもあなたの魂は存続し、知性、個性、感情もそのままで引き継ぐこと」や「肉体ではない別の身体を使った新しい生活に入ること」、「地上時代に愛していた者たちとまた再会できること」などを知り、自分にとって死が恐ろしいものではなくなり、病や苦しみの意味も理解できたことによって心がたいへん安心し、平和になりました。

 それまでに何人かの患者さんが他界されました。いずれも末期の方々で治癒が難しいことは判っていましたが、私には自分の治療に対する無力感や人の命の無常感が残っておりました。

 それまでがんの末期でつらい方々にただただ「大丈夫ですよ、治りますよ」としか言えず、精神的な支えにもなれず、お慰めもできなかった自分にとって、この『シルバーバーチの霊訓』でシルバーバーチが述べていることをお伝えできるようになったことで私はずいぶん救われたのです。

 「結局、死に対する自分自身の強迫観念にきちんと対応してきたセラピストだけが、患者が迫りくる死に対する不安と恐怖を克服するのを粘り強く愛情をもって助けるという役目を果たすことができる」・・・・・・『死ぬ瞬間』(E.キューブラー.ロス著、読売新聞社)

 人の生、そして死に関しての自分なりの考えが持てるようになったことはこの仕事を続けていく上で大きな助けとなりました。

 現在では毎月一回、第二金曜日の夜に「『シルバーバーチの霊訓』の読者の集い」というサークルを続けており、2015年5月で満6年となります。どうぞご興味のおありの方は奮ってご参加ください。ブログでご案内しております。

 注:『シルバーバーチの霊訓』の読者の集いは2017年8月現在開催しておりません。次回開催も未定です。

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スピリチュアリズムを学ぶ

 スピリチュアリズムとの出会いは前述した『シルバーバーチの霊訓』(近藤千雄訳、潮文社)でした。霊訓を読み、今生の目標が霊性の向上の一言に尽きることと理解しました。そして何をすべきかを関連書籍(多くは近藤千雄氏翻訳のもの)や資料から学びました。

 今ではスピリチュアリズムにより来世の存在を確信し現世の生活の意義を理解できたことにより物質の儚さ、目に見えないものの大切さなどを自覚できたことで大きな視点で物事を見れるようになり、心が以前より温かく穏やかになった気がします。

  スピリチュアリズムは今では私の根底に流れる死生観となっています。

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レイキを学ぶ

レイキ

 レイキは千葉県市原市の石原克己先生から学びました。レイキには特別の道具が必要ないので当院にお越しになる患者さんのご家族の方にお教えできればご家族で患者さんの治療ができるのではないかと思ったのです。

 レイキヒーリングに関連してチャクラ、オーラといった目に見えないが体感できるものの実在を学び始めました。私たち鍼灸師はもともと目に見えない気というエネルギーの一種を手に感じて治療を行う者です。患者の体表に触れずにその身体の上に手を滑らせていくと冷たいと感じるところやピリピリするところがあります。そこが治療点であることが多いのです。

 レイキも鍼灸もその術を施す者が心身を清め霊性を高める努力をすれば、霊界の医師達の治療エネルギーの純粋な通路となってスピリチュアルヒーリングがなされるのでしょう。

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緩和ケア病棟へ往診する

 緩和ケア病棟に入院中の患者さんにも往診しています。 症状はがん性疼痛や腰痛や背部痛、オキシコンチン、オキノームといった医療麻の副作用による便秘などさまざまですが鍼灸、皮内鍼、びわの葉温灸、生姜湿布、里芋パスター、レイキ、ハープなどあらゆる手法でなんとか対応しているといったところです。

 緩和ケア病棟の医師や看護師も時々私の治療を病室に見に来られて患者さん、ご家族の方々と共に和気藹々とした雰囲気の中で治療ができるのも緩和ケア病棟ならではの光景かもしれません。

 これからより多くの緩和ケア病棟の先生方が、鍼灸や自然療法の手当ては本当に身体に優しく末期の患者さんの大きな助けになることをご理解頂き、鍼灸師の緩和ケア病棟への往診を快諾してくださることを切に願っております。

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オイルマッサージをとりいれる

 オイルマッサージはがん治療にたいへん効果があると考えています。

 私がオイルマッサージに最初に出会ったのは鍼灸学校在学中でした。マッサージの授業の一環としてオイルマッサージの講義があったのです。そのビデオ学習の講師をされていたのが東京赤坂の麹町リバースに長年いらした故・宮木三枝子先生(旧横山先生)でした。私は卒業後、宮木先生を直接お尋ねし医療マッサージとオイルマッサージを教えて頂きました。

 その後エドガーケイシー療法を知り、オイルにも様々な種類や異なる薬効があることを学びました。しかしオイルマッサージと鍼灸との併用は時間的に困難であったため、しばらくオイルマッサージは治療に取入れませんでした。

 しかし2004年に入ってびわ温灸器を治療に使い出してからオイルマッサージも併用するようにしました。それは以下の点に気が付いたからです。

 がん患者の方の体質改善を行うには体内毒素の排泄が重要である。その方法としてオイルマッサージは大変有効である。

 びわ温灸器によるビワエキスの皮膚からの浸透を、イルマッサージに使うオイルが助ける。

 

 薬効のあるオイルの皮膚からの浸透を、びわ温灸器の温熱が皮膚の毛細血管循環をよくすることで助ける。

 などです。オイルマッサージというこれまで学んでいたのに使っていなかった技術や道具を再び有効に活用できるようになったことはとても嬉しいことでした。

 2015年4月にはこの間学んできたエドガー・ケイシー療法にヒマラヤ精油やYoung Living社のエッセンシャルオイルも使い始めました。

 2017年8月現在、がんに効果のあるエッセンシャルオイルを使ってのオイルマッサージもメニューに取り入れ、家庭でのがん治療の助けにすべく研究しています。

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ハープによるお祈り

ハープのための十戒

ハープのための十戒

 治療後や往診時にハープを弾くことがあります。ハープといってもサウルハープというごく小型の持ち運びができるもので、これを診療ベッドの横で弾いてさしあげるのです。患者さんの心が少しでも安らかになりますようにハープの音に乗せてお祈りしています。

 ハープに出会ったのは2003年4月です。鍼灸師の友人である本宮栄子さんがDavid Rastasという当時20歳のオーストラリアの青年を紹介してくれました。彼は祖国オーストラリアからヨーロッパ、アメリカと世界中を旅して日本に来たのでした。サウルハープという小型のハープを携えて、街頭や路上で聖なる音楽を奏で周りの人々を癒していました。

 彼の弾くハープの音色に私はとても引き付けられました。小学3年生の学芸会の合唱リハーサルで、音楽の先生から 「遠藤君は本番のときは声を出さなくていいから。口だけパクパクしてなさい。」と言われたほど音痴だった私はその一件が決定的トラウマとなって以降音楽は大嫌いになってしまったのですが、成人してから楽器には興味を抱くようになり多少はギターを弾いたりもしました。しかしこのハープに出会った時ほどこの音色を奏でたいと心底思ったことはありませんでした。 

 当時、本宮さん宅や多摩川の聖フランシスコ教会の自習室で週に1回ほどDavidから手ほどきを受けました。 そして私にとっては無謀とも思えたのですが5月の母の日には下落合の聖母ホームで、ホーム在住の皆様の前で「母の日ハープコンサート」までやってしまったのです。Davidの言う「大丈夫。神様が付いていてくださるからきっとうまくいきます」という励ましを信じていたらできてしまったのでした。この時お受けした感謝の言葉を聴きながら「聖なる音色は他者のために」というDavidの言葉を体感したのでした。

 この時は本宮さんが借りてくれたハープをまた借りしていましたが程なくそれを返す時がやってきました。そして自分の手元からハープがなくなった時、激しく『ハープを弾きたい』と思ったのです。自分でも何故かはわかりませんでした。しかしある日、東横線に乗って眼下に広がる多摩川の河川敷を眺めていたとき、ふと「ああ、自分はお祈りをしたいんだな、それでハープを弾きたいのだ」と気づいたのです。

 当時、ご縁のあったがん患者さんの回復が芳しくありませんでした。鍼灸やびわの葉温灸をしても体が楽になりませんでした。腹膜播種を起こしている末期の胃癌のため回復が容易ではないのはわかっていましたが、自分が役に立てないことにとてもつらい思いをしていました。それがハープを弾いているときは一心になっていて、とても心安らかにいられることがわかったのです。

 しかし2003年6月当時の私にはサウルハープを買う金銭的余裕がありませんでした。数十万円もするものではないのですが患者さんも多くはなかったため収入も少なく、私には高値の花だったのです。でも美しい造形とその音色の魅力に惹かれて千駄ヶ谷の青山ハープにサンプルを見に行ったことがありました。その時、係りの人に分割払いができるか聞いてみたところ試算をしてくれました。しかし自営業であるため、割賦販売は受けてくれないだろうな、と考え申し込みはせずそのまま帰ってきました。

 この時本宮さんが「遠藤さん、神様にお祈りしてみたら?きっとかなえてくださいますよ」と言ってくれました。私は当時も今もクリスチャンではありませんがこの時は不思議に「マリア様にお願いしよう。そしてDavidの訓えのとおり、ハープを自分の楽しみのためでなく人のために弾くことを誓えば、きっと手に授けてもらえる」と思い、生まれて初めて神様に向かってモノをねだりました。

 そうしましたら9月6日になって突然青山ハープの係りの女性から「ご注文のハープができました。ついては割賦販売の申し込み書を送ってほしい」旨の連絡が入り、とても驚きました。自分としては申し込みはせずキャンセルしたつもりだったのですが、「これはきっとマリア様のご加護があるに違いない」と思い、申込書をお送りしたのです。ほどなくして審査に通った、ハープを宅急便で送る旨の連絡が入り、そしてついにサウルハープが私の手元に届いたのです。この時ほど神様は真摯な願いは聞いてくださるということを確信したことはありませんでした。

Davidが残していってくれた「ハープのための十戒」です。本宮さんが訳してくれました。

 汝、頭ではなく、常に心で奏でるべし

 汝、他者に印象付けんとして弾くべからず

 汝、ハープを奏でる時間を「練習」とみなすべからず

 汝、常に正しい手の位置を保つべし

 汝の手、弦を離れ宙に彷徨うべからず

 汝、両肘の下に雲を抱えて奏でるべし

 汝、ハープを通常の楽器とみなして、これを殺すべからず

 汝、週に一度は他者のために弾くべし 病院、老人ホーム、刑務所、公園、駅、教会、他どこでも

 汝、ハープは常に他者のために奏でられるのであって、それによって自身のためにも奏でられるものと心得るべし

 ハープの聖なる音色の力を過小評価するべからず

 ハープを奏でる時間は、祈りの時間そのものである。

 以来、ホスピスの病室や公園、神社などで拙いながらも奏でています。まさにハープは私の心に思っていることをそのまま音に乗せて思う相手へ届けてくれているようです。

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霊的な治療を体験する

 ハープによる祈りを治療に取り入れ始め、毎晩霊的知識を学んでいた折、不思議な体験をしました。私は人の見えないものを見たり、聞こえないものを聞いたり、感じないものを感じたりするいわゆる霊感体質ではありませんが(これは現在でも同じです)、常識的には考えにくいことが起こりました。

 2004年9月、当院に通院されていた方が自宅で脳出血も起こし急遽入院されました。お見舞いに伺った際には左脳での出血だったようで、いわゆる“右麻痺”状態になっていらっしゃいました。私はベッド際で心の中で「大霊様、○○さんの守護霊様、霊界の治療医の先生方、○○さんの右麻痺をお治しください。併せてがんの平癒もお祈り申し上げます」とお祈りして、私の手を彼の右手や右足、左頭にかざして5分ほどした後、「手は動きます?」と尋ねました。するとそれまで動かず身体の脇に置かれて伸ばされていた右手がスルスルとみぞおちのあたりまで曲げることができたのです。

  またある時は縁あって多重人格の方の治療をすることになりました。その方の内面には明らかな他者がいるそうでその時点では3人おり、ひとりは中年の男性、ひとりはくみこという女性、あとひとりも女性だと言っていました。そしてその3人が入れ代わり立ち代り自分の口を使ってしゃべり、自分はそれを制止することができないので後ろで聞いているそうなのです。そして後から「今しゃべったのは僕ではないからね」と周りの人に念を押して回らないといけないので大変なんだと言っていました。

 ちょうどその直前まで『迷える霊との対話』(近藤千雄訳、ハート出版)や『死者は生きている』(萩原玄明、ハート出版)などの書籍から「多重人格は霊による憑依の場合が多い」と知ったので、彼に霊が憑いているかは私には分からなかったのですが、鍼灸治療の終わった後、彼に「そのまま静かに休んでいてください。これからハープでお祈りをします」と言って、私はハープを弾き始めました。

   私はハープを弾いている間中、心の中で「この方に憑いている方々に申し上げます。もうあなた方は身体をなくされています。この世の身体はありません。あなた方はもう亡くなっているのです。これからは霊界に行かねばなりません。どうぞ気持ちを落ち着けて明るい方、温かく気持ちの良い方へ向かって歩いていってください。すると必ずあなたの縁者、あるいは守護霊様にお会いすることができて導いてくださいますから、きっとその方々の後に付いていってください。今のあなた方は他の方の身体(この場合は幽体)に入り込んでしまって迷惑を掛けていらっしゃるのです。どうぞよくご理解ください」と念じていました。

 5分ほどかかったでしょうか。弾き終わりうつ伏せの彼に感想を聞くと、「とても気持ちよかった。腰のあたりの重いのがすっきりした」、そして「くみこがね、『もういかなきゃいけないの?いかなきゃいけないの?』と言って出て行ったよ」と言ったのでこの時は本当に思わず自分でも驚いてしまいました。そして実際にそういうことがあること、自分のようなものでもそういうことができることを少し知ったのです。

 これらの体験から私は通常の科学では説明しきれないものが確かに存在すると強く思うようになりました。これは「知識には責任が伴う」「学ぶと試される」という理そのものの体験でした。

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がんの意味

 私達はエネルギー的な存在です。本来は光も存在なのですが波長、波動を落として物質としての固体となりこの身体を作り上げています。悲しみや苦しみなどにより私達のエネルギーが失われたり、怒りや恨みなどでエネルギーが変質したりした結果、時差を経て私達の身体が傷んできます。

 下記にそれぞれの部位ごとの病と想念エネルギーの関連を述べていきます。これらは霊能者の透視などでも明らかにされていますし、シルバーバーチなど他界者からの通信でも述べられています。

女性性を示す器官のがん

 乳房、子宮、卵巣などの女性の特徴的器官のがんに対しては、霊的視点から次のようなことが考えられます。

 ・自分の女性性を否定してないか?

 ・自分の母性を嫌悪してないか?

 ・母親と感情的なトラブルはないか?

 現代社会ではいまだ性差の問題があります。例えば男性と能力は同じなのに昇進の機会がない、あるいは遅い、といった会社内での性差別。「女の幸せは結婚して子供を生むこと」といった価値観を押し付けられること・・・これらは個として生きる人に「自分が女性でなかったらよかったのに」などといった女性性を否定、あるいは嫌悪する感情を生み出します。

 すると女性を象徴する乳や子宮、卵巣といった器官へのエネルギー配給が本人の知らぬ間に少なくなり、結果としてそれら臓器の病変を発するのです。

 また自分の母親とは不仲で心の奥底で憎んでいたり否定している場合にも女性としての性に嫌悪感を感じて身体の中の母に関連する臓器がその心に反応してしまい、エネルギー不足となってうまく機能しなくなって発症することも同様です。

 これらのがんは女性ホルモンとの関連で述べられ治療をされます。それ自体は正しいことですがホルモンが正常に働かない原因が心のエネルギーにあるという点に思いを致さない限り、がんの治療は表面的なものに止まります。根治をするにはより大きな視点から自分や親との関係を見直しする必要があります。これらのがんはそういうきっかけを与えてくれるものではないでしょうか。

 私達はこの世に生まれる前に自分で両親を選んで生まれてきます。たとえ母親と相性が悪くてもそれは 「この人を母親とすることが今生で私の魂を最も良く成長させてくれる」と自分で判断し選択した結果なのです。この世で出会う人、事柄、事件、、病気、災難には必ず意味があります。母親は反面教師かもしれない。でもその彼女がいたからこそ多くのことを気付いたのではないでしょうか。悩み苦しみながらも。

 また、あなたはもしかしたら前世は絶対的父権を揮っていた頑固親父で、女性蔑視の塊のような男性だったかもしれない。多くの女性を差別的に扱い、不幸に陥れた人物だったかもしれません。そしてあの世に帰った際に自分の生前を振り返っていかに多くの女性を苦しませてきたかにようやく気付いて深く悔やみ、その禊の為に今度は女性となって生まれ、不当な扱いを受けることでその償いを受けようと思ってこの世に来たのかもしれません。

 これらはあくまで推論ですが参考にしてよいものと思います。

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がんの意味に関するエッセイ

がんは個人の病ではなく地球上すべての生き物の痛みだ 2005年4月3日

 がんは決して一人の病にしていてはいけない。私たち皆が責任をもって当たらないといけない病であると思う。

 私たちはすべてつながっている。一人のがんを患う人の痛みを私達は全員で分かち合わないといけない。なぜなら現在の環境汚染の激しい世の中では生命として健全に過ごすこと自体が難しいことであり、がんを患うほうが当たり前だろう。だから目の前のがんを患う仲間はそうでない仲間よりたまたまがんが生育しやすかっただけかもしれないのだ。

 がんを患っている仲間を見て「可哀想に」「運が悪かった」と勘違いしている余裕はないはずだ。現在がんを患っていない人が明日がんだと診断される可能性もあるのだから。

 私はシルバーバーチの霊訓にある「がんを治すものは既に自然界に用意してある」という言葉を信じている。そしてそれが自然療法の手当てやエッセンシャルオイル、フラワーエッセンス、ハーブなどにきっと含まれていると思い学んでいる。

 だから自然を守ることはがんの治療法を守ることに直結する。私たち全員が物質的利益追求の考え方から脱却し、環境を守り、自然と共存する道を歩むことを選択することが、回りまわって、いやダイレクトにがんを患う仲間の助けになるのだと思う。

 前に日記に書いたように今の野菜は昔の野菜とは力が違う。トマトは匂いがしない。がん治療に使う野菜にパワーが足りなくなっている。そういう気がする。だから健全な野菜が必要とされていることを行動して示さないといけない。

 あなたが少し高いけれども無農薬の有機農産物を買うことはそれらを作っている農家を助ける。そしてそれを仕入れて販売しているスーパーの担当者の意識を変える。「ああ、多少高くても売れるんだな、それならもっと多めに仕入れよう。」と。そうやって世の中が変わっていく。

 今は人間界のみならず動物界にもがんが広がっている。地球の上のすべての生き物ががんで苦しんでいる。あなたの親類、友人、知人のがんは決して本人のみの病でなく、この星の上に生きているオールマイリレーションズ=私に連なるすべてのものの病であり、痛みである。

 がんを患う仲間を独りぼっちにしてはいけない。皆でがんを治そう。そして皆で幸せになろう。

内的変化 2005年5月1日

 昨日から霊的治療の内面が少し変わった。これまでレイキなどの治療では大霊や守護霊、スピリットへ「腫瘍を破砕し治してください」と祈っていた。しかし大霊は愛の存在のはずである。すべての命を貴ぶ存在のはずだ。それであれば同じ生き物であるがんを粉砕してくれという祈りは間違っていたのではないか。

 がん細胞は細胞がコントロールが効かなくなって暴走している命であり、確かに肉体の宿主からすれば生命を脅かすものである。しかし肉体と魂が別のものであり魂や霊が永遠の存在であり、肉体はその魂が成長を遂げる際に使う器と見做せば、その器の存続を願ってがんという一部の抹殺を図るのは間違いだと思う。

 よってきのうからはがん細胞に対し「愛している。憎んではいない。君の(宿主を悟らせる、霊的に浄化させるという)使命は理解した。ついては光に戻るように」という感じにがんを肯定的に捉えるように変化した。

 思えば寺山心一翁さんも「がんを愛して治した」と公言してはばからない。昨日からそのようなことを患者さんに伝え始めている。

バイブレーショナル・メディスン 2005年8月22日

 邦訳版『バイブレーショナル・メディスン』をこつこつ読んでいる。寺山先生が必読の書と仰るのも頷ける。

 僕のHPを見てもらえば分かると思うのだが、がんを霊的視点で捉えた表現をたくさん載せている。これは見えない世界のことを知ってもらいたいがために、たとえ多くの人に自分のことを怪しい奴と思われても、少数の分かってもらえる人に情報を伝えたくてリスクを承知で霊的なことを正面に出してきた。

 しかしこの書では霊という概念を使わなくても目に見えない世界のことを科学的に説明している点で、一般の人にも分かりやすいものではないかと思う。

 「我々人間という生命体がひとつながりの多次元的な微細エネルギー系であり、それらのエネルギー系がバランスを崩せば身体的、感情的、精神的、霊的レベルで病理学的変化があらわれる」という主張はまったく正確であると思う。

 いきなり霊的なことばかり書いている今の僕のHPは人の体をエネルギー体と見做して書き改めた方が受け入れやすいだろう。今後はその作業をしようと思っている。

愛を表現することで癌を癒す 2005年8月23日

 「チャクラ障害のうちでも心臓チャクラのブロックは最も深刻な結果をもたらす。心臓チャクラはチャクラの中でも中心的なエネルギー中枢である。それは三つの高次チャクラと三つの低次チャクラを統合する連結機能を果たしている。心臓チャクラはいわば、人間存在の中心でもある。なぜなら、われわれは心臓チャクラをつうじて愛を表現することができるからだ」

 「おそらく愛の表現は、この物質界に生まれてきた人間に課せられている最重要課題の一つであろう。愛がなければ、存在は無味乾燥なものにしかならない。われわれは他者を愛するだけでなく、自分自身をも愛する必要があることを学ばされるのである」

 「われわれはまた自己の生活を維持し、豊かな暮らしを目指して生産活動をするだけではなく、仲間の生活を少しでも良くするために、様々な形の奉仕によって他者に与え返すことを学ばなければならない。すでに指摘したように真に他者を愛することができるようになるには、まず自己を愛することを学ばなければならない」

 「自己を愛することができず、貧しい自己イメージを抱いたまま生活していると、エネルギーのブロックがまず心臓チャクラに発生しそれが胸腺に影響して免疫力に障害をもたらす。機能が低下した免疫系は、常在ウイルス、細菌、あるいは致命的ながん細胞など外因性・内因性の原因に対していとも簡単に屈服してしまう」

 以上『バイブレーショナル・メディスン』リチャード・ガーバー著、日本教文社より

 →子供時代の親からの無条件の愛を受けた体験がない、あるいは少ないと自己肯定感が低くなり、病気になりやすい、あるいは病気から治りにくいことが多いにあるように臨床体験から強く感じている。

癌の意味 2005年8月30日

「がんはおそらく、現代においてもっとも恐れられている病気である。心の力を利用するユニークな治療法もあるが、それは目下、議論の的になっている段階である。これは瞑想やイメージ法を行うことによって免疫系をコントロールする力を身につけ、体内のがん細胞を積極的に取り除こうとする治療法である」

 「放射線腫瘍医のカール・サイモントンによって開発されたこの手法は、主治医に見放された多くのがん患者に希望を与え、実際に治癒した人もいた。この方法によってがんを克服した人の中にはたいへんめざましい変化をとげた人がいる。ライフスタイルや考え方ががらりと変り、そしてしばしば病気になる前にくらべてはるかに高いクオリティ・オブ・ライフを身につける。なかにはみずからがん患者のカウンセラーになる人もいて、新たに身につけた人間的な強さと洞察力を、同じ病気におかされている人々と共に分かち合おうとしている」

 「それらの人々においては、破局的な病気が転換点となり、新しい意識状態とライフスタイルに移行することが可能になったと考えられる。深刻な病気をも贈り物として感じ、人生のより深い問題に対する洞察力を深めることによってはじめて、彼らは治癒と言う成功を勝ち取ったのである」

 「それはまさに生死をかけた大問題であり、それまでに身に染み込んでいた自己や他者への思い込みの変更を余儀なくされることが少なくない。死という現象は多くの理由から、たんに生から死への移行という意味以上に、一種の「変容のプロセス」であることが知られている。そうした人々は、自分の存在の本質的な部分を脅かし、その変更を迫るようなできごとがなければ、『自分にとって一番大切なことは何か』『自分の生涯の使命は何であったかのか』について立ち止まって考え直す機会はなかっただろうという気付きに至り、あらゆる事象を肯定的に捉えることができるようになるのである」

 以上『バイブレーショナル・メディスン』リチャード・バーガー、日本教文社

 →自然療法の東城百合子先生の「病気は『気づきなさいよ、変りなさいよ』という神様からのお手紙である」、ガンの患者学研究所の川竹文夫氏の「ガンは神様からのラブレター」との発言と上の文章は同じことを言っている。

 がんなどの病気だけでなく災難や事故などの自分にとって嫌なもの、不快なもの、災いをなすものが実は自分を気づかせて育てるきっかけともなるものである、と言われている。要はすべてのことは「物事に対する自分の捉えかた次第」ということなのだろう。これが「幸せは自分の内にあり」ということなのでしょうね。

がん患者の感情的傾向の一研究 2005年11月25日

「キャロライン・トーマス博士による性格特性と感情的傾向性の研究のように、がんや心疾患の発症が家族関係や心理的因子から予測可能であることを示唆するものがある。

 トーマスは1948年から1964年の間にジョンズ・ホプキンズ大学医学校を卒業した1300人の学生を対象にして、長年にわたって追跡調査を行った。博士は当時ジョンズ・ホプキンス大学に在籍していた医学生全員の詳細な家族歴情報を収集し、さらに被験者の身体所見と心理学的データを集めたのである。

 やがて中年を迎えた被験者の医師達がさまざまな病気で倒れるようになると、博士は過去のデータを紐解き、特定の疾患を発症した医師のグループ内に共通の心理学的因子がないかどうかをチェックした。

 するとがんになった人たちのグループに一定の心理学的共通点が見出された。興味深いことに、後にがんを発症した人のグループの特徴は、自殺したグループの心理特性とよく似ていた。彼らの多くが両親との間に感情的な不和があったと報告していたのである。がん集団のメンバーは父母の間に感情の不和が多いと感じてもいた。じっさい、自分のごく若い頃から家族関係が良好でなかったと感じていた人の割合が最も多かったのはがん患者の集団であった。

 ローレンス・ルシャンによるべつの心理学的研究は、多くのがん患者が習慣的に自己の感情を押し殺しており、とくにマイナスの感情を抑制する傾向があることを示している。家族からのこのような疎外感は人生の後半における深刻な抑うつ状態に影響を与えているかもしれない。

 こうした否定的な感情パターンは、自己および他者への愛を表現する能力とも関係している。所期の親子関係が原因で否定的な条件付けの影響を受けている人もいる。幼児期の歪んだ自己イメージは後年の対人関係能力に影響を及ぼし、他人との自由な交流を困難なものにしてしまう。そして表出されない怒りの感情や敵意が内部に鬱積していく。

 こうして自己や他者を愛する能力を損なうような感情のブロックがつくられ、それは心臓チャクラの異常を引き起こす。そうした異常なエネルギーバターンが存在すると、免疫系を始めとする心臓器系の活力も低下して、しだいに深刻な臓器障害をきたすことになる」

 以上『バイブレーショナル・メディスン』リチャード・ガーバー、日本教文社

 心臓チャクラに主に栄養される部位は胸腺、心臓、肺、乳房と言われている。これらの部位のがんの原因として上記の視点から探ることも留意したい。

『プレアデス 銀河の夜明け』から」 2006年2月20日

 『プレアデス 銀河の夜明け』(バーバラ・ハンド・クロウ著、高橋裕子訳、太陽出版、2004年)は著者にサティアと名乗る宇宙生命エネルギーが憑依(チャネリング)して宇宙の叡智を伝えるという内容の本である。

 「わたしはサティア、プレアデス人の大集団を指揮しています。わたしはプレアデスの中央図書館であるアルシオネの記録の守り手です」と語り様々な情報を伝えてきている。

 しかし今の私にはこの本は理解しがたい。未知の言葉、概念で埋め尽くされていて10%も理解できていない気がする。しかしがんの治療にヒントになるものはないかという視点で気になる言葉をピックアップしていこうと思う。霊的なことが検証できないと同様にチャネリング情報も検証できないが、検証できない事柄からでも現実に生きる上で参考になりそうな情報は活用したいから。

 ☆第1章 宇宙のパーティ から

 「どんな病気にも植物の中に対応する特効薬があります。それぞれの病気が教えているものを学びさえすれば特効薬はすぐみつかるはずです。エイズは死を尊び死に感謝することを教える贈り物です。それを学べば自分の好きな死に方を見つけられるようになるでしょう」

 →前段の「どんな病気にも植物の中に対応する特効薬がある」という情報は心強い。「動物実験という動物の犠牲の上に成り立つ今の薬品開発は神の計画にはない、病気に対する薬は既に自然の中に用意してあります」とシルバーバーチの語る動物実験を書いた日記にあるようにがんの薬は植物の中にあるのだろうと思い、それを探す意欲がますます湧いてくる。しかし「それぞれの病気が教えているもの」が分からない。それを探っていく、探る能力を身につけることが必要のようだ。

 サティアは肉体を持たない存在のようだから死を超越しているらしく、いまだ死を忌避したい私には刺激的な言葉「エイズは死に感謝することを教える贈り物」とある。さらに「自分の好きな死に方を見つけられる」・・・ うーん、このへんは強い違和感を持つな(笑)

 「人体細胞の分子に含まれる電子はすべて光なのです。あなた方は本当は固体というより光です」「自分の喉のまわりに光をコード化した無数の糸が渦を巻き、真実を語るにつれてそれが垂直の光の棒に変わっていくのを想像してください。糸の束が傘のようにひらいて全身を持ち上げ、銀河系に種子を蒔きにいくのです。これは自分の真実を知り、語ることでしか成就しません」

 →“私達の肉体は実は光である”ことには強く同意している。そして喉の第5チャクラを使って自己を表現することが私達の存在意義であるとも。やりたいことをしない、自己実現、自己表現をしないことで光のエネルギーが凝り固まりそれがコード化して絡み合ってしまうと肉体の機能不全を起こす。それが癌など病の“見えない要因”だと最近思い至っている。

 渦を巻いて凝り固まった光エネルギーを“自分の真実、本当の自分”を恐れずに語ることでそれが光の棒に変わり、その棒があなただけでなくあなたの周りの環境、驚くべきことに銀河の果てまで影響するというのだ。病気は自己実現の道を強く歩き始めよ、というメッセージだろう。同じことを数年前に東城百合子先生の“あなたと健康社”の料理教室で「病気は神様からのメッセージ」という表現で何度も耳にたこができるほど聞かされたことを懐かしく思い出す(笑)

“正しく”から“楽しく”へ 2006年5月11日

『ただしい人からたのしい人へ』(小林正観著、弘園社、2002年、1500円)より抜粋。がんに関連する部分を。

 <悪いことをしてないのに>

 ある方が講演会の後の二次会でこのような質問をされました。「私の友人がついこの間、がんで死にました。その人は『世の中には悪いことをして人に嫌がられ、迷惑を掛ける存在でありながら楽しく愉快に生きている人がいるというのに、私は何も悪いことをしていないのに、なんでこんな病気になって死んでいかなければならないのか。理不尽ではないか。私が何を悪いことをしたというのか』と言いながら死んでいきました。そのことについて伺いたいのです」と言いました。 どうしてそんな不公平なことが起きるのか、というのが質問の趣旨でした。

 私はこう答えました。

「がんになって、あと数ヶ月の命と言われたとき、例えば自分の好きな絵を描いて何十点か残そうとか、作曲をしたり、好きな曲を演奏して録音して残そうとか、本を書いたり短歌や俳句を書いて残そうとか、そういうふうに自分の存在証明を残すということで気持を切り替えた人たちがいます。

 そのような人たちには、宣告された期間が過ぎても死なない、というケースが多々ありました。あと三ヶ月といわれた人が半年も生きていたり、半年といわれた人が1年も生き延びているという事実に驚き、病院で検査をするとがん細胞が消滅している、というものです。そういう例が世の中には多々あるようなのです。

 今の方のような『ほかにもっと悪いことをしている人たちがたくさんいるのに、その人たちには何も起こらなくて、何も悪いことをしないで正しく生きてきた私になぜこんなことをが起きるのか』という質問は、自分の運命を恨み、呪って、受け入れなかったことのストレスのゆえのものだったかもしれません。

 自分が『正しく』生きてきたかどうかではなく、問題は『楽しく』生きてきたかどうかなのです」

 「正しい」ということを人生の中に掲げて生きてきた人は、多分つらかっただろうと思います。「正しい」かどうかではなく「楽しい」かどうかです。自分がその生活が楽しいのかどうか、それを基準にものを考えるということが、実はとても重要なことのように思えます」

 →これまでベティ・シャインなどの霊能者の本を読んできて生命エネルギーが伸びやかでなく鬱屈しているとその影響が身体に及んでやがて病となると学んだ。「人はこの世に使命を果たしにくるのではなくただ経験を楽しみにくる」と考えれば「生き生きと楽しく過ごせないことは人の本来の姿ではない」のだろう。病は楽しくないと魂が感じていることの身体への表れなのか。もちろんいつも笑顔で楽しそうな人だって病になるのだからこれが正しいかはわからない。あ、いかんな。まだ正しい正しくないで思考している。

 ですから「自分は正しい生き方をし、ほかの人は正しくない生き方をしてきたにもかかわらず、正しいほうの私が病気を得て、正しくない方の人がのうのうと生きている」と考えること自体が、すでに自分の身体にがん細胞を作っているということになりそうです。

 <悟りとは受け入れること>

 先述しましたが受け入れるためには3秒あればよいのです。

 一秒目、過去のすべてを受け入れること。

 二秒目、現在のすべてを受け入れること。

 三秒目、未来のすべてを受け入れること。

受け入れることが悟ること。

「こうありたい」「こうあってはならない」と思うことはそのどちらも執着ということにほかなりません。執着していることが、自分にとってのストレスになり、ストレスが身体を壊していくようです。悟りとはただただ受け入れることなのかもしれません」

 →執着にはいろいろある。「玄米菜食しなきゃいけない」「考えを変えなきゃいけない」「魂を磨かなきゃいけない」・・・・。これらもそうだ。ぼくが今まで思ってきたし患者さんに言ってきたことでもある。でもこれも執着なんだろう。

 がんを治すのにこれまでの自分を省みて思うところあって変えようと努力はし始めた。でも「変えられればいいな、でも変われなくてもいいや」という柔らかい姿勢、目標設定しない、努力しない、受け入れて楽しむことが大事という道と、治すためにはきちんと目標設定して努力しないといけないとひたすら頑張る道。正観さんは「お好きなほうを。それは人の趣味の問題ですから。正しい正しくないではないですから」という言い方をしている。

 最近「がんを治すための代替医療は自分の直感で選びましょう」とコメントしたんだけど、正観さんの本を読んで“直感”よりも“それが楽しいか楽しくないか”で選ぶことがいいのかも、と思い始めている。

乳がんの意味 2007年1月9日

 今日の新患さんは印象深かった。右胸にしこりがあったので詳しい生検を先日行って10日にその結果が出る、という状況でうちに来院されていた。

 いつもどおり症状の聞き取りから始まって既往歴や食生活、睡眠、便通などの日常の健康状態、そしてもしがんだったとしたら何が原因なのか、その心当たりはあるか、など問診をし1時間20分くらいかかった。

 心理学的な面から見た乳がんの意味をクリスティン・ペイジ先生が『チャクラ 癒しへの道』(サンマーク出版)で表しているんだけど、「参考までに」と前置きしてそのページを読んで差し上げた。

 「心理学的な観点から見ると、がんの項目で列挙した性格の特徴が完全にあてはまります。つまり、怒りを抑圧しながら周囲の人々を養育し、元気づけることが生きる目的になっているタイプで、そうすることが豊かな人生を約束してくれると信じているのです」

 「しかし通常どんなことが起きるかというと献身的に皆に尽くしても、そうされて当然のような態度を誰もが見せ始め、行き場の無い悲しみを感じるようになります。そして失望感を抱えたまま、見捨てられたように思い、怒りを覚えますがそういう気持ちを表に出すことはありません」

 「私の所見では、左胸に症状が現れる場合は、男性や父親などに関連した問題がある証拠で、右胸の場合は女性や母親などとの関係にトラブルを抱えているようです。治療プログラムには患者本人のみならず家族も対象とした心理療法が必須です」

 読み終えて彼女の感想を聞くと「まったくその通りです」とのこと。旦那さんとの関係でとても寂しい思いを長いことされていたようだった。そして母親との関係ではずっと母親から「女性は家庭的なことが一番」と言われ続けてそれにとても反発を覚えていたとか。また男性の友達の方が気安くかえって女性の友達との関係を結ぶほうが難しいとも。「だから右胸なんでしょう」と納得されていた。

 あまりプライベートなことはここには書けないけれども「病気はメッセンジャーであり大事なことを伝えに来たもので決して敵ではない。そして貴女に今、変化することが必要な時期が訪れているのではないですか」という投げかけに素直に頷いていらした。

 乳房は自分ではなく他者を養育する象徴的な部分だ。がんそのものは全身病であり、発見された部位によってその意味するところが異なるとぼくは考えている。乳がんの場合は「私は人を育てているけどその私の面倒は誰が見てくれるの?」と訴えていると見做していいのかもしれない。

 彼女もまた周囲に気配りをする“いい人”を演じてきた人だったようだ。いみじくも彼女が言った「私、寂しかったんです」という言葉がすべてだろう。

 幸いお話を聞いているかぎり旦那さんは彼女を避けているのではないようなので、彼女が素直にご自分の胸のうちを旦那さんに打ち明ければそれだけでも変わっていくことだろう。

 サウルハープの“マリア”の助けも借り、そして小林正観さんの『楽に楽しく生きる』もお貸ししてまた次回の予約日にお待ちすることにした。ご自身でも不思議な体験をされているようなので僕の話も割りと腑に落ちたようで話す甲斐があった。

 10日の検査結果が良好であれば今日お会いしたのが最初で最後となりこれから会うこともないかもしれず、まさに一期一会になるかもしれない。結果も何も出していないし何も変わっていないがそれでも自分の中では深く印象に残る2時間半だった。

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この世に生きる目的とは?

『シルバーバーチのスピリチュアルな生き方Q&A』より

 Q1.そもそも地上生活の目的とは何でしょうか?

 A1.そもそもの目的は本来の自分を理解することです。そのためには物的身体の機能と霊としての資質を存分に発揮することが必要です。物的なことに偏って霊的存在としての義務をおろそかにするのもいけませんが、霊的なことに偏って物的存在としての義務をおろそかにするのも間違いです。両者のバランスをとり、この世にありながらこの世的人間に堕することのないようにすべきです。

 肉体は神の分身である霊の神殿ですから十分な手入れが必要です。そして成長と進化の過程にある霊はその肉体を通して成長と進化のための機会を与えられる必要があります。

 この世に生きる目的は地上を去った霊が次の界層での生活になじめるようにさまざまな体験を積むことです。

 そこでまず地球へやってくるのです。地球はトレーニングセンターです。肉体に宿った霊が、次の次元への装備を提供してくれる教訓を学ぶための学校のようなものです。

 そういう理由から私は改めて申し上げます。あなた方が嫌な体験と思っているものが最高の薬になっていることがあるのです。本当の自分を見出すのは日向の生活の中ではなく嵐のような生活の中なのです。雷鳴が鳴り響き稲光がひらめいている時です。

 人間は厳しく磨かれ清められ純化されなければなりません。絶頂もどん底も体験しなければなりません。地上生活だからこそ体験できるものを体験しなくてはいけません。そうした体験によって霊性が強化され補強され死の向こうに待ち受ける生活への準備が整うのです。

 この世に生きる目的は、霊性を活気づけることです。そのために地上界の出来事は二面性と二極性を鮮烈に体験するようになっており、そこに地上生活の地上生活たるゆえんがあるのです。たとえば善と善でないものとが同居しています。これは私達の世界にはないことです。高次元の世界には対照的なものが存在しないのです。

 地上生活の目的は魂がその霊的資質を発揮できるように様々な体験をするチャンスを与えて霊性を一段と強化することです。そのために悪もあれば罪もあり暴力も存在するのです。

 地上の全生命の存在目的は人類をはじめ動物その他の全生命に宿る神性に火がともされて火種となり灯火となり火焔となって燃えさかるように刺激的体験を得ることです。霊的意識が目覚め地上にありながら生命の現象的側面にとどまらずもっと大切な内的側面をも理解してその恵みを享受するようになります。

『シルバーバーチの霊訓』より

シルバーバーチの霊訓

 「あなた方もお一人お一人がミニチュアの大霊すなわち神なのです。その霊はあなた方の努力次第で生長と発達と拡大を続け、成熟して開花する可能性を秘めているのです。どこまで発揮できるかを決定付けるのはあなた自身です。他の誰もあなたに代わってあげることはできません。それが地上生活の目的なのです。あなたも大霊であることを自覚することです。そうすれば神の王国があなた自身の中にあることに理解がいくはずです。霊力は絶対に裏切りません。」(『シルバーバーチの霊訓9』潮文社)

 「地上生活の目的はいたって単純です。本来のあなたである霊的本性を開発、強化して死後に待ち構える次の生活の身支度をすることです。となると、ありとあらゆる人生体験、楽しいことも苦しいことも光も蔭も、有利なことも不利なことも、愛も憎しみも、健康も病気も、その一つ一つがあなたの霊的生長にとって何らかのプラスになるということです。」(『シルバーバーチの霊訓9』潮文社)  

 「地上への誕生のそもそもの目的は魂が目を覚ますことにあります。もしも魂が目覚めないまま終われば、その一生は無駄に終わったことになります。地上生活が提供してくれる教育の機会が生かされなかったことになります。」

 「地上生活の究極の目的は、人間が霊的成長のある段階において、物的現象の世界の裏側に存在する実在に気付くようになり、さまざまな体験を提供することです。」(以上『シルバーバーチの霊訓8』潮文社)

 「改めて申し上げるまでもなく、地上へ誕生してくる目的は各自の魂の成長と開発と発達を促進するような体験を積み、肉体の死後に待ち受ける次の段階の生活にふさわしい進化を遂げることです。」

 Q.「たとえ生活水準が今より向上したところで不老不死ということは有り得ないのは言うまでもないのですが、もしも完全な生活水準が整ったら150歳までは生きられるのではないかと思うのですが・・・」

 A.「肉体的年齢と霊的成熟度とを混同してはいけません。大切なのは年齢の数ではなく、肉体を通して一時的に顕現している霊の成長、発展、開発の程度です。」

 「肉体が地上で永らえる年数を長引かせることは神の計画の中にはありません。リンゴが熟すると木から落ちるように、霊に備えができると肉体が滅びるということでよいのです。ですから寿命というものは忘れることです。長生きをすること自体は大切ではありません。」

 「地上生活のいちばん肝心な目的は、霊が地上を去った後の霊界生活をスタートする上で役に立つ生活、教育、体験を積むことです。 もし必要な体験を積んでいなければ、それはちょうど学校へ通いながら何の教育も身に付けずに卒業して、その後の大人の生活に対応できないのと同じです。」(以上『シルバーバーチの霊訓10』潮文社)

『大霊界7 神と医』(隈本確、弘文出版)から

 霊界においては、浄化の段階の違う神霊同士は決して交流できず、したがって、霊界での霊の向上は、たった一人の孤独な闘いの歳月であるということを、思い出していただきたい。しかも、数多の階層のある霊界で、霊界人たちがそのたった一段階を登るためには、数百年、数千年という歳月を要するのである。 

 ところが、肉体を持った人間の中に住んでいる魂(生き霊)は、どうであろうか。これらの魂は、人間の肉体というものを媒体として、あらゆる神霊との交流が可能なのである。 魂は、いかなる高級神霊とでも、また、いかなる低級霊とでも、自分(魂)を包んでいる肉体を仲立ちとすれば、自在に交流ができるのだ。それが霊界入り以前、すなわち発生当初の魂のみに与えられた特権である。 

 さきほど、「人間は、百年足らずの持ち時間の間に、いったい何をすればいいのだろうか」という疑問を提示したのであるが、ここで、その答えを明かそう。 それは、人間が自己の肉体をフルに活用して、でき得る限り高級神霊との交流を持つように努力し、魂を磨くことに他ならない。 人は生前においてさえ神になることができるのである。自己の内に鎮まる魂の存在を、高き神の位にまで磨くことができれば、私達は生前に肉体を持ちながら、高き神霊の持つ位と力とを得ることができるのだ。 それが人間としてこの世に生まれてきたことの意味である。

 <私見>聡哲より補足

 この世に生まれてくる意味を霊界側から述べてみよう。その前に霊界がどういうところかをご理解いただければ何故、皆が先を競ってこちらに生まれてこようとするかがお分かり頂けると思う。

  霊界では言葉を必要としない。心、想念が相手にそのまま伝わる

 私達人間は肉体が使えなくなっても(死んでも)霊として存在する。生きている間経験したことや知識、感情などすべてを携えて向こうでの生活を始める。その際には肉体ではなく幽体という自己を表現する身体を使う。こちらと同じく社会生活を営み他人とコミュニケーションを取る。

 ただその際にこの世と異なるのはコミュニケーションの媒体が言語ではないということだ。霊界は思ったことが相手にそのまま伝わる世界であり、そのため言葉が必要ない。地上にいる際には私達は他国語を話す人とはコミュニケーションが取りにくいが、霊界ではそのようなことはなく誰とでも意思、想念のやり取りができる。  これは自分の思ったことがすべて外部に放射されて他者に知られてしまう、隠し事ができない場所ということである。

  自分と同じ考え、価値観の者同士が集まって生活する

 そのようなところでは人々は自然と自分とまったく同じ考え、価値観、嗜好、感情の人たち=霊格が同等の者どうしが集まり生活することになる。なぜなら自分の考えと合わない人といても自分の心が隠し立てができないから、その場をとりつくろうとか丸く治めようということができずまっさらの自分しかだせないところであり、合わない者とは同居ができなくなり、おのずと価値観を共有する者が集まる。霊界は霊格が同等の者どうしがつくる界層(「階層=上下に積み重なっている」ではない。「境界のある」という意)社会であり、その界層が無限の数だけあると言われている。私達、すべての霊という存在はバイブレーション、波動の存在であり、同じ波動、波長の者同志は共鳴しあってまったく同じ界層を築いて生活する。

 であるから地上で夫婦、親子であったとしても意見が合わなかったり反目していたりした者どうしは霊界では決して一緒に暮らすことはない。できない。霊界で共に暮らせるのは愛情に結ばれた者同士、同じ価値観を共有するものどうしと言われている。 この環境はまったくの平和であることをご理解していただけると思う。自分とまったく同じ感性の人間だけが住んでいる世界。とても快適である。これが争いのない世界、人々の理想とするいわゆる“天国”という場所である。

  退屈してより魂の向上を求めたくなる

 このような平和な世界には本人が居ようと思えばいくらでも居ることができる。霊界には時間はない。魂によっては何百年、何千年と同じ境遇に居る者もいるようだ。しかしたいていの霊はその環境に飽きてくる。平和であるということは魂を鼓舞するような刺激が少ないということだ。私達はすべて霊であるがその存在目的は“魂の向上”である。平和な環境につかっているということは魂が向上しないのだ。

 魂を向上させるためには自分より優れた者と交わって学んだり、自分より劣った人たちを助けるなどといった行為が望ましい。同じ界層の相手では平和であり魂の鼓舞が難しい。人は困難にあってこそ始めて魂が鼓舞されるのだ。だから自分の界層には同じ霊格の者しか居ないので、それを求めて霊格の高い霊たちがいる界層や、低い霊たちのいる界層に行きたくなる。しかし行くには行けるがそこでは活動ができない、魂の向上が図れないのだ。

  他の界層でも魂の向上は困難である

 例えば自分より崇高な霊の界層へ行ったとしよう。まわりは自分よりはるかに気高い人たちばかりである。自分から見ればとんでもない善人ばかりの世界にいると思って欲しい。そこで人がすごい自己犠牲を払っているのを見て「そこまですることはないんじゃない?自己満足じゃないの?」とあなたが思ったとしよう。するとそのあなたの想念がそのまま、その自己犠牲を払っている人に伝わる。先ほど述べたように霊界ではあなたの心に思ったこと=想念は隠すことができずそのまま全世界に放射されていくからだ。

 その崇高な界層ではあなたの霊格が発する、その界層ではまだ未熟とされる想念が相手に届く。相手は当然困惑するだろうし、その相手からの好ましからざる想念があなたに返されて来るだろう。当然良い関係は築けない。あなたの霊格との差が大きければ大きいほどあなたはその霊界の界層社会で生活を営むのは困難となる。

 その逆もまた真である。あなたより霊格の劣った人たちを指導しようとそのような界層社会にいったとしよう。あなたからみるとひどい感情を持っていたり乱暴をする者達の中に入っていった時、あなたが「なんてひどい連中なんだ」などと思えばそれが即、相手に伝わってしまう。そこではあなたは爪弾きにされるのではないだろうか?このように霊界では上に行くことも下を訪れることも困難だとされている。それが前述の『大霊界7 神と医』で述べられている最初のパラグラフ「霊界においては、浄化の段階の違う神霊同士は決して交流できず、したがって、霊界での霊の向上は、たった一人の孤独な闘いの歳月であるということを、思い出していただきたい。しかも、数多の階層のある霊界で、霊界人たちがそのたった一段階を登るためには、数百年、数千年という歳月を要するのである」となるのだ。

  魂の向上を図るため“この世”に戻りたくなる

 こうして霊界にいると自分の魂の向上を図るには“この世”に行って“修行”することが最も効果的と痛切に理解できるようになる。この世では霊格の高い者も低い者もたくさんいる。出会うことで学ぶことができる。あの世では決して体験のできない困難、病気、災難、などが体験できる。この世の真の意味、霊的視点から見たこの世の本当の価値、「霊界では得ることができない、魂の向上が図れるまたとない修行の場」ということが理解できるようになる。そのため多くの魂がこの世に戻ることを切望して生まれる順番を待っているのだ。あなたはそうして何度もこちらに生まれてきている存在なのだ。この世に生まれる前から存在し、この世を離れた後も存在する永遠の魂なのだ。

 霊は自分の魂を向上させてくれる最も良い時、環境を選んでこの世に生まれてくる。国を、地域を、両親を選んで生まれてくる。この両親ならば私をこのように育ててくれる、反面教師となってくれそうだとか、19世紀初頭のアメリカに今、生まれれば奴隷解放運動に殉じる姿を見せることで何が重要かを人々に知らせることができる(リンカーン)というように。 この世に生まれて来るのはそういう理由なのだ。決して「親が勝手に生んだから」などと言ってはいけない。「ばちが当たる」とかのレベルの問題ではない。もったいないのだ。真の意味を知れば。ただ飲んで食べて仕事して寝て・・・。そして死んでいく。酔生夢死、哀れな。

 肉体を離れて霊界へ戻ってから自分の守護霊と共に自分の今回の生をゆっくりビデオを見るように回想するという。そして「あぁ、あの場面ではああすれば良かった。あれが今回の生まれてきた課題だったのに。失敗したなぁ」などと。無限に進化の階梯が続く霊界から見ればこの世の地上生活は小学校の過程でしかないと言われている。小学校の課題は「人間とは様々な困難に遭う事で霊性を高め、自分が霊的存在ということに気付いて次の(霊界での)生活に備えること」だそうだ。

 これらのことを霊界からの通信は教えてくれる。荒唐無稽の物語と思われるのが普通だろう。私も最初に読んだときにはそうだった。しかし、そこに宗教色がないこと(「うちの宗教に入れ、この信仰を信じないと地獄に堕ちるぞ、ほかはすべて邪教だ」など)、思想を強制しないこと、平和を築く礎になる思想であること、何よりも私の大事な大好きな自然、命の価値を認める言葉、そして語る言葉に謙虚さが滲み出ていることなどから私は受け入れている。

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身体の健康とは?

『シルバーバーチの霊訓』(近藤千雄訳、潮文社発行)から

 「人間には一種の機械としての物的身体が与えられています。あなたはその身体を通して自我を表現している一個の霊なのです。あなたが悩みを抱くと、霊と身体との間の水門が閉ざされ、身体は生命力の補給路を失うことになります。補給源とのつながりを絶たれることになります。そのことに気付いて心構えを改めない限り、あなたの身体はその不健康な作用と反作用の法則に従い続けることになります」  

 「心配の念はあなたの霊的大気であるオーラの働きを阻害し、その心霊的波長を乱します。その障害を取り除くまでは生命力が流れ込みません」「心配することに費やしているエネルギーを建設的な思念へ転換すれば、健康上の問題は生じなくなります」  

 「身体は一種の機械です。したがってそれなりの手入れがいります。手入れを怠れば故障するに決まっています。すると休息と修理によって機能を回復するほかはありません。あなたはその身体を通して自我を表現しているのです。その身体のすることにも限界があり、それを越えてしまえばバッテリーを補充しなければなりません。それはあなたの責任です。あなたの身体だからです」  

 「健康を増進するのは医学でも医薬でも劇薬でもありません。不自然なものを体内に注ぎ込むことによって健康にすることはできません。それは言わば医学的愚行です。正しい生き方さえしていれば、つまり思念によこしまなところがなく、霊と精神と身体とが調和していれば健康でいられるのです。日常生活のストレスと心労、あるいは利己心や邪心や強欲が生み出す不自然な緊張、こうしたものは物的存在のすべての息の根を止める毒薬です」(以上『シルバーバーチの霊訓9』潮文社より)

 「中庸こそ身体機能を自由に働かしめ、一方精神的能力を曇りなくかつ激することなく自在に発揮させる。我らが求めるのは明晰にして元気はつらつとし、それでいて興奮することなき精神と、活力に溢れ、その活力を使い過ぎもせず欠乏もせぬ身体である」  

 「身体の健康管理は魂の成長にとりて不可欠の要件である。魂が地上という物質の生活の場において自己を表現していくために肉体に宿るかぎりは、その肉体によりて魂が悪影響を受けぬよう、これを正しく管理していくことが必須である」

 今の地上に見られる人工的傾向、健康に悪影響を及ぼすものについての無知、ほぼ地上全域に見られる暴飲暴食の傾向、こうしたものはすべて真の霊的生活にとりては障害であり妨害となる」(以上『霊訓・下』心の道場より)

『シルバーバーチ最後の啓示』(ハート出版)より

シルバーバーチ最後の啓示

 健康とは全体が整っていること、調和が取れていること、リズムがあること、協調体制が整っていることです。あなたという存在は三位一体、すなわち霊または魂と精神、それに物的身体の三つから成り立っています。その三つの主要な構成要素の間に調和がとれていれば、あなたは健康です。その三者の間で相互作用が絶え間なく行われているのです。

 「霊が正常であれば精神も正常であり、身体も正常です。身体に生命を賦与しているのは霊です。霊はすなわち生命であり、生命はすなわち霊です。霊とは大霊であり、大霊がすなわち生命ということです。物的身体は霊が自我を表現するための道具であり、精神はそのためのコントロールルームと思えばよろしい」

 残念ながら現代の忙しい生活機構が緊張とストレスと過労を生んでおります。それが調和を乱すのです。霊が病み、精神が病み、それが肉体に病的症状を生み出します。心身症という病名がありますが、これは精神と霊に起因する病気のことです」

 「ですからかりに心配が原因で潰瘍が生じた場合には、その潰瘍部分を切除しても何にもなりません。心配をするという精神の病がある限りはまた潰瘍が生じます。心配をしないように精神を修養するしかありません。そうすれば潰瘍も消えます」 

 「そこに現代社会が病んでいると申し上げる原因があります。考え方、物の見方、大切なものとそうでないものの判断力、焦点の置きどころ、視野の持ち方、こうしたものが狂っているのです。大切なものとどうでもよいものとの区別ができるようになり、基本的な霊的真理の大切さが分かるようになれば、人間を構成する三つの要素が調和して、健康になります」

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病気とは?

『スピリチュアル・ヒーリング』(中村正明訳、日本教文社)より

 イギリスの著明な霊能力者ベティ・シャインはその著書『スピリチュアル・ヒーリング』(中村正明訳、日本教文社)の中で次のように語っている。

 「人間はまず第一にエネルギーの存在である。どの人もエネルギー体を持っている。それは身体をすっぽりとおおうと同時にオーラとして体の周囲に広がっている。肉体に生命、健康、活力を供給しているのはこのエネルギー体である。コノエネルギー・システムが故障したりどこかが機能しなくなったりすると、それに対応する体の部分は生命力に合わせて振動することがなくなり、その結果体の調子がおかしくなる」

『シルバーバーチの霊訓』より

 (霊能者に対する話)「うっかりすると方角を見失いがちな世界にあってあなた方は物的中心思想という悪性のガンと闘っている霊の大軍に所属しておられます。唯物思想はなんとしても撲滅しなければならない悪性の腫瘍です。これが人類を肉体的にも精神的にも霊的にも病的にしているのです」  

 「病気、不快、異常の原因は調和の欠如にあります。健康とは全体の調和が取れている状態のことです。身体と精神と霊との間に正しいリズムとバランスが取れていることです。三者の連係がうまく行っていない時、どこかに焦点の狂いが生じている時、自然の生命力の流れが阻害されている時に病的症状が出るのです。霊力が流れず、本来の機能を果たしていないからです」

 「人間の病気はサイコソマティック、つまり精神と霊に原因があってそれが身体に現れております。心配ばかりしていると胃潰瘍になります。が、潰瘍部分を切除すれば心配しなくなるわけではありません。ですから心配しなくなるような生き方を教えてあげないといけません」

 Q.病気は教訓として与えられるのだとか、人間性を築くためだとか言う人がおりますが、本当でしょうか?

 A.言っていること自体は正しいのですが“与えられる”という言い方は適切ではありません。私たちと同じくあなた方も法則の中で生きております。そして病気というのはその法則との調和が乱れた結果として生じるのです。言ってみれば霊として未熟であることの代償として支払わされるのです。

 「しかしその支払いとはまた別の“補償”の法則もあります。物事には得があれば損があり、損があれば必ず得があるのです。物質的な観念からすれば得と思えることも、霊的な観点からすれば大きな損失であることがあります。すべては進化を促すための神の配慮なのです」   

 「教訓を学ぶ道はいろいろありますが、最高の教訓の中には痛みと苦しみと困難の中でしか得られないものがあります。それが病気という形で現われることもあるわけです。人生は光と陰の繰り返しです。片方だけの単調なものではありません。喜びと悲しみ、健康と病気、晴天と嵐、調和と混乱、こうした対照的な体験の中でこそ進歩が得られるのです」

 「ということは双方に神の意思が宿っているということです。良いことにだけ神が宿っていると思ってはいけません。辛いこと、悲しいこと、苦しいことにも神が宿っていることを知ってください」(以上『シルバーバーチの霊訓9』潮文社より)

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苦しみ、困難とは?

『シルバーバーチの霊訓』(近藤千雄訳、潮文社発行)より

シルバーバーチの霊訓

 地上の人生はしょせんは一つの長い戦いであり試練です。魂に秘められた可能性を試される戦場に身を置いていると言っても良いでしょう。魂にはありとあらゆる種類の長所と欠点が秘められております。即ち動物的進化の段階の名残である下等な欲望や感情もあれば、あなた方の個的存在の源泉である神的属性も秘められております。そのどちらが勝つか、その闘いが人生です。地上に生まれてくるのはその試練に身をさらすためなのです。

 人間は完全なる神の分霊を享けて生まれてはいますが、それは魂の奥に潜在しているのであって、それを引き出して磨きを掛けるためには、ぜひとも厳しい試練が必要なのです。運命の十字路にさしかかるごとに右か左かの選択を迫られます。つまり苦難に厳然と立ち向かうか、それとも回避するかの選択を迫られるわけですが、その判断はあなたの自由意志に任されています。もっとも、自由といっても完全なる自由ではありません。その時点において取りまかれている環境による制約があり、これに反応する個性と気質の違いによっても違ってくるでしょう。

 地上生活と言う巡礼の旅において、内在する神性を開発するためのチャンスは予め用意されております。そのチャンスを前にして積極姿勢をとるか消極姿勢をとるか、滅私の態度に出るか自己中心の態度に出るかは、あなた自身の判断によって決まるということです。

 悲しみは魂に悟りを開かせる数ある体験の中でも特に深甚なる意味を持つものです。悲しみはそれが魂の琴線にふれた時、いちばんよく魂の目を覚まさせるものです。魂は肉体の奥深く埋もれているために、それを目覚めさせるためにはよほどの体験を必要とします。

 悲しみ、無念、病気、不幸などは地上の人間にとって教訓を学ぶための大切な手段なのです。もしもその教訓が簡単に学べるものであれば、それはたいした価値の無いものということになります。悲しみの極み、苦しみの極みにおいてのみ学べるものだからこそ、それを学ぶだけの準備の出来ていた魂にとって深甚なる価値があると言えるのです。

 魂の偉大さは苦難を乗り切る時にこそ発揮されます。失意も落胆も魂のこやしです。魂がその秘められた力を発揮するにはいかなる肥やしを摂取すればよいかを知る必要があります。それが地上生活の目的なのです。失意のどん底にある時は、もう全てが終わったかの感じを抱くものですが、実はそこから始まるのです。

 あなた方にはまだまだ発揮されていない力--それまで発揮されたものより遥かに大きな力が宿されているのです。それは楽な人生の中では決して発揮されません。苦痛と困難の中にあってこそ発揮されるのです。金塊もハンマーで砕かないと、その純金の姿を拝むことができないように、魂という純金も、悲しみや苦しみの試練を経ないと出てこないのです。それ以外に方法がないのです。他にもあると言う人がもしいるとしても、私は知りません。

 人間の生活に過ちはつきものです。その過ちを改めることによって魂が成長するのです。苦難や障害に立ち向かった者が、気楽な人生を送っている者よりも大きく力強く成長していくということは、それこそ真の意味でのご利益と言わねばなりません。何もかもがうまくいき、日向ばかりを歩み、何一つ思い煩うことのない人生を送っていては、魂の力は発揮できません。

 困難に愚痴をこぼしてはいけません。困難こそ魂のこやしです。むろん困難の最中にある時はそれを有難いと思うわけにはいかないでしょう。辛いのですから。しかし、あとでその時を振り返った時、それがあなたの魂の目を開かせるこの上ない肥やしであったことを知って神に感謝するに相違ありません。

 この世に生まれてくる霊魂がみな楽な暮らしを送っていては、そこには進歩も開発も個性も成就もありません。これは厳しい辛い教訓ではありますが、何事も価値あるものほど、その成就には困難がつきまとうのです。魂の懸賞はそうやすやすと手に入るものではありません。

 人間にとってその条件とは辛苦であり、悲しみであり、苦痛であり、暗闇の体験です。何もかもがうまくいき、鼻歌まじりののんきな暮らしの連続では、神性の開発は望むべくもありません。そこで神は苦労を、悲しみを、そして痛みを用意されるのです。そうしたものを体験して初めて霊的知識を理解する素地が出来上がります。

 そしていったん霊的知識に目覚めると、その時からあなたはこの宇宙を支配する神と一体となり、その美しさ、その輝き、その気高さ、その厳しさを発揮しはじめることになるのです。そしていったん身につけたら、もう二度と失うことはありません。それを機に霊界との磁気にも似た強力なつながりが生じ、必要に応じて霊界から力なり影響なり、真理なり、美なりを引き出せるようになります。魂が進化しただけ、その分だけ自由意志が与えられます。

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がん治療 エッセイ

表と裏の距離(現代医学と自然療法との乖離) 2005年6月18日

 治療は難しい。ある治療師の方から聞いた話。

 乳がんの方を1年近く診ているそうな。その患者さんは転移もあって現代医学では治せないという状況だったらしい。しかし自然療法のその治療師の方に出会って食事療法なども指導され、また定期的にも治療を受けていたという。

 ところが食べ物については厳格な食事療法が守れずよく脱線して邪食をしてしまう方だそうで、マクロビオティックの先生からは3ヶ月で治るはずといわれていたのが長引いていたらしい。そして子供の頭くらいにまでがんが大きくなってしまったのだが、生姜湿布などの手当てを続けているうちに崩れるようにがんの病巣が小さくなったという。

 特に一番効果があったのは1週間ほど痛みで何も食べれなかったことだったそうでその間じゅうにどんどん崩壊して小さくなってしまったそうだ。足のむくみなども絶食の期間中にまったく元通りになってしまったらしく、やはりがんの原因はその人の普段の大食からくるものだったのだろうと治療師の方は言っていた。

 そしてもう少しでがんも全部崩れ落ちて無くなるという寸前まで行った時、気が緩んだのかいきなり豆腐一丁、まんじゅう8個を食べたらしく、そうしたら途端に今まで崩れ落ちていったがんからの出血が止まって、またむくむくと巨大になってしまい、同時に足も首肩もパンパンにむくんでしまったという。体から外に排泄する力が失われてしまったわけである。

 治療師の方もそのような状態では自然療法が間に合わないので急きょ入院を薦めてその方は入院したところ、医師から血液検査の結果貧血状態である、特にアルブミンという蛋白成分が足りないと説明されたらしく、それを聞いてこれまでがんが小さくなったにもかかわらず、治療師の方に「信じられない」と言いだしてしまって関係が悪くなってしまったとの事。

 玄米菜食などの食事療法でがんが小さくなっている時に、なんらかの症状が出て西洋医学的診断を受け貧血と診断されると、患者も心配になって栄養剤の点滴を受け入れることになり、そのためかえってがんがまた増大し始めることがある。

 これは私たち代替医療の治療者の説明不足、力量不足、信頼獲得不足でもあるとは思うのだがいつも思うとても残念なことだ。西洋医学的検査の診断結果を十分参考にしながらも、それのみで判断せず自信を持って患者さんが取り組める代替医療を模索していきたいと思う。それが表の医学と裏の医学の間の距離を縮め、将来の統合医学につながっていくことなのだと思う。

心配について 2005年7月4日

 ちょっとストレートな物言いがありますが大事なことを話されていると思うのでそのまま載せます。

『愛の実践・神理の実践』知花敏彦、廣済堂より

 

 「皆さん方は心配をします。その心配することはマイナスのエネルギーです。例えばがん患者がいたとします。医者はがんは治らない不治の病と思っていますから、<これはがんだからもうじき死ぬであろう>と、このマイナスのエネルギーをまず最初にその医者が起こします。看護婦が起こします。医者は家族の人に伝えます。奥さんは<私の主人はがんで死ぬのだ>と、子供達は<お父さんはがんで死んでしまうのだ>と、家族全員でマイナスの破壊的な死の念を送ります。そして身内の人を始めてとし、親戚の人、知人、友達までが寄ってたかって殺してしまうのです。集団殺人です。」

 「<がんだから治らない。もう助からない。もう死ぬのだ>と、大勢の人からマイナスのエネルギーを送られますから、もう本人はたまったものではありません」

 「がんは治ります。決して不治の病ではありません。しかし、一旦がんを病むと殺す人が回りに一杯いるのです。妻でさえ主人を殺す張本人です。<がんは死ぬ。もう助からない>と、大勢の人の心で集団殺人するのです。恐ろしいことです。目に見えないだけで本当に恐ろしいことをしているのです」

 「今、地球上には、このような破壊的波動が、闇の波動が一杯です。その波動を清めるには<大丈夫だ>というエネルギーが重要です。大丈夫と言う言葉。これは強烈な救いです。全体に大きく影響するのです。大丈夫だという心のエネルギーを送るだけでこのエネルギーは全宇宙に影響します」

 →私には霊的な心眼がないから、大丈夫だと思った心のエネルギーが実際にどれほど世界を救っているかは実際のところ分からない。しかし私たちが思ったことと、行ったこと、言ったことの3つで世界を形成していると学んでいるので、心配するより大丈夫だと思うことの方がはるかに有益なことは知っている。

 話は変るけれども、うちに毎週通ってびわの葉温灸を受けている前立腺がんの方のPSA値(がんの腫瘍マーカー値の一つ)が前回の60から0.5まで下がってしまった。劇的改善だけれども彼の数値が改善した裏には「まったく心配していません」という日頃の彼のしっかりした心構えがあることが大きいのではないかと思った。

 シルバーバーチも心配は私達の心を腐食する最も強いものであり、心配や不安の心を持たないことが人生で重要だと諭していた。銘記したいことである。

目的は個人的な願いを超えていなければならない 2005年7月13日

 ネイティブ・インディアン オグララ族の大聖人と言われるフールズ・クロウは奇跡的な治癒も起こすメディスンマン(治療師)でもあった。その彼の示唆に富む数々の言葉が記録された『フールズ・クロウ 智慧と力』の中からがんを治す際の心構えの参考になりそうなところを掲載したい。

 「患者は毎日の治療が終わると夕食を済ませ、その後は床に就くまで自分とワカン・タンカ(創造の神(聡哲注))のかかわりに静かに瞑想するようにと指示された。瞑想には深い呼吸と祈りが伴い、その祈りは嘆願と傾聴の二つのパートから成っていた」

 「なによりもまず、患者が祈りの中で強調しなければならないのは、自分は他人の役に立つ人間になるために元気になりたいと願うことだった。長続きする成功を収めるためには、治療の目的は個人的な願いを超えていなければならなかった。

 フールズ・クロウがよく強調したのはこうした治療や癒しは共同体のためになされるということだった」出典:『フールズ・クロウ 智慧と力』トーマス・E・マイルズ著、澤西康史訳、中央アート出版

 →転移が進んで病院のベッドで中心静脈栄養の補給を受けている方にはこれは困難なことかもしれない。しかし初期のがんで日常生活を普通に送れる方にはこの「人のために役立つことをするために治りたい」と願うことは可能ではないか。

 引き受け氣功の「あなたの闇を引き受けます」という言葉も、前述の「人のために治りたい」と願うことも、他者のために生きることが自分を活かすという重要な法則の実現に繋がっているから、奇跡的な治癒も起こるのではないだろうか。

自律神経免疫療法 2005年9月21日

 今日、患者さんから自律神経免疫療法で治療して欲しいと依頼された。

 その方は近くのS大病院に入院されている方でこれまで病室に6回ほど往診しに行った。肺がんで食道リンパ、気管支リンパに転移していて手術は不可能な状態。胸水があり間質性肺炎を起こし微熱のため抗生剤も投与されている。経鼻的に酸素供給がなされ、胃ろうも開設して栄養供給されており既に4ヶ月ほど口から物を食べていない。導尿もしていて体中パイプに繋がれている状態だ。幸い痛みはないが痰が切れず、ゼロゼロと苦しげな呼吸をされている。

 これまで足の三里、陰陵泉、尺沢、曲池、中府などの経穴に物理的には接触するくらいの鍼、想念では3センチくらいの鍼を刺入し、異界の先生方に治療依頼しつつ自分は愛情を注ぐというような治療をしてきた。合わせて同経穴に灸をしてきた。そして治療後毎回持参したハープを奏上してきた。

 きつい積極的治療は困難と判断し体に負担の少ない柔らかな治療をしていた。ところが今日は治療後に本人から筆談で「自律神経免疫療法をしないのか」と問われたのである。

 この方の場合は奥様から治療依頼があった。巷で話題の自律神経免疫療法をしているH市のSクリニックに奥様が問い合わせたところ、そこでは診れないから私を紹介する、とのことで電話がきたのだ。そのクリニックの先生とは安保徹教授の講演会で知り合い時々患者さんをこれまで紹介して頂いていた。

 しかし現在では私は自律神経免疫療法は治療に取り入れてはいない。そのためその旨を奥様に申し上げたのだがそれでもいいので治療に来て欲しいとのことで往診を始めたのであった。だから冒頭の依頼をされた時にようやく私は奥様から本人にはそういう話は伝わっていなかったのだなと理解できた。

 自律神経免疫療法は私見では積極的、攻撃的治療法と考えており今のこの方にはきつすぎるのではないかと判断していた。その旨申し上げたが是非にとのこと。困っているところに奥様が病室に戻られたので二人で病室を出て奥様に体に負担が多い恐れがあると忌憚なく述べた。

 すると「本人はとにかく積極的になんでもやりたい、どんな辛くても治療を受けたい、頑張りたいというタイプで、何もしてないことに耐えられないのです。治療でかえって悪くなってもよいからして欲しい」と仰る。

 私の治療は私のHPの私の目指すものにも述べているように肉体の治療という手段を通して魂の気付きのきっかけになれれば幸いだと考えている。そのためこの方の場合にも初診の際にはこれまで自分で癌を治してきた方の多くに気づきがあったことや魂のこともお話させて頂いた。そっと足元に置くという感じで。

 しかしこの方はとにかく病と闘う、死と闘うというスタンスであった。なのでこれから私はその線で治療をしていく。次回からは自律神経免疫療法を使うことになるだろう。

 現実界においては現実的対応をしていかねばならないこと、顧客のニーズに合わせられることがプロの条件と考えれば当然のことではあるし、自分の価値観は押し付けるものではない。まして命を懸けた切実な願いであるのだから。

 今ようやく気付く。抗がん剤治療のみしか手持ちのカードがない医師が患者からきつくてもいいから治療をしてくれと懇願されれば副作用がきつくても採用せざるを得ない場合もあるのだろうことを。そしてその時の医師の苦衷の胸の内を。

 治療は難しい。いや、どんな仕事だってそうなのだろうけれども・・・。今回も大きな学びとなるだろう。

『母なる風の教え』から学んだこと 2005年10月3日

 「我々ネイティブ・アメリカンにとっての医療、まじないとは単なる薬草や医師が受ける訓練だけにはとどまらない。人々が生きがいを得られるように手助けをすることなのである。新しい方向を指し示してこの道を行きなさいと言ってあげることが、癒しにつながる。助けの手を差し伸べ、人の気持ちを楽にしてあげて初めて、まじないを施したことになるのである」

 →重みのある言葉だと思う。ホリスティック医療、全人的医療というものがこの弓の島(日本のこと)でも叫ばれだしているけれども、それを既に古来から行ってきた、それも一人ひとりの個人のメディスンマンによって行われてきたことに、ネイティブ・アメリカンの人々の社会が健全であり続けてきたこと、人と人との間柄の近さ、濃密さを感じ、そして私は憧れるのだ。

 ここに示した短文では通り一遍の言葉になってしまうけれども、書中では筆者であるベア・ハートが戦没将兵記念日でさえ一枚のカードも来ない哀れな忘れ去られた傷痍軍人たちを病院に訪ねて、彼らに「神はあなたのことを忘れていない」と真心をもって語りかけることで彼らが癒されていくところを描写している。

 それが冒頭の文章につながっていく。まじない師、ヒーラーという者は技術によってなるものではあらず、心によってなるものである、ということだと思う。心して歩んでいきたい。

一人に一つの治療方法 2005年10月8日

 9:00~Pさん(乳)。里芋パスタを勧めているけれどもがんが大きくなって胸から落ちて治るのは怖いとのことで里芋パスタはせず、鍼灸で対応。昨日、引き受け気功に娘さんと初参加されたので、引き受け気功で大事なのは所作をまねる形ではなく、嫌なものを引き受ける、嫌いな、怖いがんを引き受けるということを心から思うことが大事だと思う、とお話しする。

 がんは夜中にブワンブワンバイクや車のエンジンをふかして騒ぎまくっている子供たちのように、根はいい子達が認めてくれなくて暴れている状態なんですよ、認めてあげて引き受けて愛情を注げばがんは変っていくと思いますと話した。これは寺山心一翁さんからも聞いた話。彼もまたがんに愛情を注いで治した人だから。

 10:00~Qさん(前立腺)。昨日の引き受け気功の話。人との関係、男女の関係について。波動整体療法を学びに行くとか。びわの葉温灸をする。

 11:00~Rさん(悪性リンパ腫)。抗がん剤2回目を昨日受けて今日はだるい。前回はふらふらでたどりついたのに帰りは元気に帰れたのが嬉しかったと。全身対応の鍼灸とびわの葉温灸。治療中に引き受け気功の話をしたら次回に参加するとのこと。『ガンはカゼと同じように治る』をお貸しする。娘さんの手当てが一番の効果があることをお話しする。

 2:00~Wさん(大腸がん腹膜転移)。便が出なくてお腹が張って苦しく夜眠れない。千葉医療センターまで片道2時間かけて往診。4人部屋ではへそ灸ができないので“処置室”で。処置室という言葉はないよなぁ。国立医療機関だからだろうか、この非人間的な言葉、医療をする側からの言葉。こういう言葉がまかり通っているから病院が気持ちいい場所になっていかないんじゃないかと思う。

 その処置室で生姜のへそ灸。これで前回治療後に3日間連続して便が出たとのこと。病院で娘さんができる方法だから自分でお母さんにしてあげるよう勧めるが、お灸の煙が部屋の天井備え付けの火災報知機を鳴らす可能性があるのでそれを防ぐためにガムテープで眼張りする作業が自分ではできないから、との理由でまた私が往診した際にへそ灸をすることにする。環境が整わなくて治療ができないのは残念なことだ。とこずれになりそうで痛いという仙骨と肩甲骨を鍼と小さなお灸あるいは電気ビワの葉温灸器(ユーフォリア)で血液循環をはかる。ハープで一曲奏上。

 5:00~Xさん(子宮頸)。5時5分前に治療院に帰り着いたら前で待たれていた。すみませんでした。体調は良好。いつもどおりの治療。造血の鍼灸。ユーフォリアで肝臓、下腹部、そけい部をアーユルヴェーダオイルを塗ってから温める。うつ伏せで腎ゆ、仙骨部、腰陽関穴を十分温める。治療中には保育園の話から始まって教育の話など。

 6:00~Zさん(肝臓)。中学の先生。子供が“壊れてきていて”本当に困って精神的に参ってしまう、とのこと。霊的な話をよく二人でするので「子供が憑依されているとしたらどうしたらいいか」という話など。先生に対する足かせ手かせの多さには同情を禁じえない。親が壊れているので子供がそうなるのも無理はないとも思う。教育を先生だけに任せては先生がつぶれてしまう。皆で、地域で子供を育てないと。肝臓に対する鍼と灸、ビワの葉温灸器による脾、胃、肝臓部への支配神経の出る脊柱部位への温熱刺激、そして手からの生命エネルギー投入。

 今日は久しぶりに休みなしの一日だった。それにしても一人ひとりにまったく違う治療をしているな、と気付く。でもそれが正しいと思っている。オーダーメイドが当たり前だろう。

緩和ケア病棟の使い方 2005年10月29日

緩和ケア、ホスピスというと“死を看取るところ”というイメージがあるがそれは払拭してもらいたい。確かに手の施しようのない状態の方が入院されている場合もあるけれども“緩和ケア外来”というような積極的治療が困難な症状(例えば腹水など)に対してのケアを行うところもある、疼痛などに対する手法に秀でた医療機関という風に捉えなおしてほしいと思う。

 今日はその緩和ケア科に転院したQさんを往診したのだけれどもこれまでのつらい状態があまりに良く改善されていて驚いたことを述べてみたい。Qさんは原発不明の腹部腫瘍で腹膜播種のため腸閉塞状態になっていて自宅近くの医療センターに入院していた。当初は泌尿器科に入院していたがその後外科に移った。腸閉塞になったため口からの飲食はまったく禁止され経鼻チューブを腸の閉塞部まで挿入されてそこに溜まる消化液を体外に機械で排出していた。想像してみてほしい。鼻から喉を通して腸の奥底まで直径8mmくらいの透明チューブが差し込まれている不快さ、苦しさを。そしてこれはずっと取れないだろうと医師に言われていたという。

 毎日の3リットルに上る量の点滴、降圧剤のためか顔、足、腹部がむくんでいた。おなかもしょっちゅう痛かった。ぼくは往診時には生姜の“へそ灸”をしていたけれども効果は余りあがっていなかったと思う。

 それが今日、転院先の厚生年金病院(飯田橋)緩和ケア科に往診しにいったところ、経鼻チューブが外れているではないか。足やまぶたのむくみもすっきりしている。お腹の痛みもあまりなくなってしまったという。何より本人が以前より明るく元気になっていたのが嬉しい驚きだった。

 聞くところによると前の病院では点滴のし過ぎによるカロリーオーバーだったらしく何でも20代男性に処方するくらいのカロリーが投入されていたとか(ちなみにQさんは60代半ばの女性)。すぐに主治医が処方を変え、今では点滴量が激減し、常時接続でなくなり血圧も下がりむくみお腹の痛みも消えてしまったという。ようは“医原病”だったのだろう。そして経鼻チューブも転院してわずか3日で取ることができ、水分なら経口摂取可能とまでなった。

   主治医も「こうします」ではなくて「こういうふうに処方を変えるとこういうふうにかわるからぼくを信じてやってみませんか」というように提案して進めてくれるのでその点も嬉しかったとか。看護婦さんも親切だし今日はお風呂にもいれてもらい「女王様になった気分」を味わえた入浴だったと笑っていた。

 他の患者さんで広尾の日赤医療センターの緩和ケア科に入院していた方も「ここは天国よ~」と言っていたことを思い出す。そこで痛みの処置をしてもらって退院していった人もいる。このように緩和ケア科は優れて使い勝手の良い医療機関なのだ。

 がんという病気は時に現代医学的には治療困難な状態になって痛みなどの体の愁訴に苦しむことがある。そのような時には緩和ケア科を積極的に利用したらどうだろうか。痛みの緩和などが上手な専門医が当たっていることが多いのだから。

 治療の終わったあとは緩和ケア科のある階に併設された病院の屋上庭園片隅の東屋でQさんとご家族の前でハープを奏でた。風にのって天音が空に広がってゆく。Qさんにとっては久しぶりの外気浴であり紅茶付き野外コンサート。楽しんでもらえたようでぼくも心軽々と帰ってこれた。

緩和ケア 2005年12月11日

 今日は東京都大塚の日本鍼灸師会館で開かれた学術講習会にいってきた。

 演題および講師は、

1.がんの痛みを緩和する

   --モルヒネやほかのオピオイドlを中心として--

   日本赤十字社医療センター 緩和ケア科 部長 秋山修先生

2.Palliative期の患者に対する鍼灸

   --症例から学ぶ現状と問題点--

   東海大学医学部付属大磯病院 鍼灸治療室 高士将典先生

 だった。

 日赤の秋山先生のお話からはホスピスで使われる一般的な疼痛鎮痛薬の働きや特徴、最近のデュロテップなどの新薬の話などもあって参考になった。秋山先生には何度も面識があり日赤医療センター緩和ケア病棟に入院している患者さんのところへ往診に行って私が貼った皮内鍼を後日先生ご自身で張り替えてくださったり、と代替医療に理解を示してくださっていらしてとても有り難く思っている。

 今日の講演に対する会場からの質問への答えの中にあったのだけれども、緩和ケアの現場における医療人に鍼灸への期待や理解が薄いのでどうしても鍼灸師がチーム医療に入るのが難しいとのこと。「国立ガンセンターでは鍼灸師がチームに入っていてうらやましい」と仰っていたのでぜひ秋山先生には日赤医療センターの上司を説得して頂きたいと思う。

 高士先生の講演は初めて聞いた。コメディカル(医師を頂点とした医療チームの中の一員)として大学病院内で鍼灸治療を行ってきて、実際にペインスケール(痛みの程度を数値で表現したもの)の一つであるVAS(Visual Analog Scale:拷問のような耐え難い痛みを10としまったく痛みのない状態を0として患者に現在の痛みを10段階のうちでどれくらいか自己申告してもらうことで、治療前治療後の痛みの変化を知る)を使ったりして統計を取ってこられてきた。

 その結果、例えば電子温灸器の導入により痛みの緩和が図られたことで医師や看護師といったまわりの医療スタッフに「鍼灸は効くらしい」と認識してもらう一助になったこと、その後医療スタッフが鍼灸治療室に積極的に患者を回してくれるようになったことなどを紹介していた。

 また慢性疼痛には皮内鍼が予想以上に効果があることも報告をされていた。さらに刺絡というわりと刺激量の多い刺鍼方法も採用したことがあるなど興味深い報告もしてくださった。

 高士先生とは講演の後に個人的の話をしたかったのだけれどもすぐお帰りになってしまわれたようでちょっと残念だった。制約の多い医療現場でされている高士先生のことは尊敬するし、これからもいろいろ教えて頂こう。

がんの苦痛は取り除ける 2006年1月8日

 NHKスペシャル「日本のがん医療を問う」の第二夜「がんの苦痛はとりのぞける」を見た。緩和ケアをがん医療に積極的に取り入れることの必要性が訴えられていた。良かった。たぶんこれを機に緩和ケアがより取り入れられていくことだろう。簡単なことではないけれども。もちろん厚生労働省技官の発言は慎重でありその回答の仕方に不満も残るがNHKの影響は大きい。広島県の取り組みのようにデイホスピスなどがこれから各地に広まってほしいと思う。

 代替医療先進国のイギリスの緩和ケア事例が紹介されたのでもしかしたら代替医療が緩和ケアに貢献していることが映し出されるかと思ったが残念ながらそこまでは至らずあくまで現代医療の範疇での取り組みの紹介に終わっていた。

   番組の中でがん治療には初期の段階から痛みのケアとして緩和ケアを併用すべきとの示唆がされていた。正しいと思う。今の日本のように“生きるための治療”と“死を迎えるためのケア”に分離されていることは不幸だ。やはり諸外国のように初期から除痛にとりくむ必要がある。私がよく往診にいっている広尾の日赤医療センター緩和ケア科に勤務されている秋山治先生や茅根先生も「緩和ケアは決して死を看取る場所ではなくて痛みのケアをするところです。積極的に利用してほしい」と言われていて緩和ケア外来も設けていらっしゃる。12月に行われた秋山先生の講演も良かった。

 ただ現在痛みを止めるにはほとんどが鎮痛剤や鎮痛補助薬といった薬剤による対処になっている。場合によっては放射線治療も行われているけれどもいずれも必ず副作用はある。それを考えるとそれら薬剤に替わる鎮痛治療として鍼灸を採用してもらいたいと強く思う。私個人の経験に限って言えばこれまで緩和ケア病棟へ往診しにいって鎮痛に成功したことはあっても副作用を起こしたり病状を悪化させたことはない。末期がんの体の状態は複雑だ。薬剤でのコントロールはこちらを立てればあちらが立たずということも多いように見受ける。モルヒネで痛みは取れても猛烈な便秘になることもある。それらの鍼灸による治療で痛みを減らして鎮痛薬を減らすことは可能なのだ。それを知ってほしいと思う。

 末期がんの症状にさえ有効な鍼灸治療が初期のがん治療に貢献できないはずがないと思わないだろうか?がんの痛みの治療に鍼灸や自然療法で携わってきてその効果を知る者としてのぼくの持論である「がんになったら鍼灸院へ」というのは、「現代医学的ながん治療と平行して免疫力を高める鍼灸を同時に受けて欲しい」というものだ。なにもがんになったら第一選択肢として鍼灸院に行きなさい、と言っているのではない。古来痛みや諸症状を取る技術に優れた鍼灸ががんの治療に取り入れられていないことはぼくは国民的損失だと思っている。

 あわせて鍼灸師会も変わる必要があるだろう。1つには今の鍼灸学校の教科書には「がんには鍼灸治療は不適」とされてそのように生徒指導されていること。これは最近流行のEBMという“科学的根拠に基づいた治療”を判断基準とすると、鍼灸治療によるがんの治療データがないための結論であろう。ぼく個人は鍼灸は想念による治療部分が多いと思っているので鍼灸治療自体がEBMに馴染まないと思っているので「がんには鍼灸治療は不適」という扱いは間違いと思っているがこのことについてはここではこれ以上は触れない。ようは鍼灸師に対しての「鍼灸ががん治療に有効だ」という教育がなされていないことを改める必要があるということ。

 2番目はがんという病をもっと学ぶ必要がある、ということ。私自身もがんの専門病院で多くの患者さんに接するまではがんに対して誤った価値観を持っていた。そういう誤解に近い病気観を払拭して自分たちの技術ががんに有効だということを知ってもらいたい。もちろんぼく自身も昨年講演したように「鍼灸ががんに有効だ」というアピールをこれからもしていくつもりだ。

 今回の放映で緩和ケアに耳目が集まるだろう。さらに近い将来その緩和ケアの中に鍼灸などが取り入れられていくことを願っている。

サイモントン療法 2006年1月30日

 28日土曜日には統合医学講座のセミナーでサイモントン療法講座を聞きにいった。サイモントン療法とはカール・サイモントン博士が生み出したイメージ療法で『がんのセルフ・コントロール サイモントン療法の理論と実際』創元社、1982年)で有名になったのではないか。今回はサイモントン療法認定セラピストとして活躍されている川畑伸子さんのお話だった。

 私は実際に6年ほど前にサイモントン博士とお会いしたことがあるけれども、彼の前著『がんのセルフ・コントロール』に出てくるイメージ療法にはあまり賛成できなかった。それは「がん細胞をミサイルでやっつける、マシンガンで打ち砕く」といったようなファイティングスタイルのものであり、この間がんを愛して自分で治した寺山心一翁先生や藤谷康充氣功師の“闇を光に変える”思考に出会ったことなどもありなおさら強く違和感を覚えていた。

 その私のこれまでサイモントン療法に持っていたイメージが今回の講座ではまったく変わってしまった。その旨を講演終了時に感想を述べると川畑先生も頷かれて「サイモントン療法も進化しているんですよ」と笑っていらっしゃった。

 とても参考になる内容の良い講座だったと思う。とくにビリーフワークといわれる認知療法の一つはがんと共にある人には役に立つものだと思われた。「健全思考へのアプローチ」とサブタイトルが付けられたこのワークのことを川畑さんはサイモントン療法のいい点の一つと挙げられていたけれどもぼくも同意する。「わたしは余命○○年しかない」という不安に苛まれている時に「私が○○年で死ぬことは事実ではない。健康を取り戻している可能性もある」などと反証をあげていって否定的な思考で埋まっている自分の頭の中をひとつずつ打ち消していくというものでこれはとても有益だろう。

 このビリーフワークはがんと共にある人にしか使えないものではなさそうだ。誰にでも、たとえ病と共にある人でなくても使えそうだ。否定的な感情が沸き起こるたびにこのビリーフワークをしていくと良いのだろう。

 他にも多くのことを教えてもらってノートにたくさんメモ書きしてきた。しかし体系的に学ぶ必要がありそうだ。ということで川畑さんが著した『がんのイメージ・コントロール法 ~サイモントン療法による癒しへの道』同文館出版、2005年、2,300円)を注文した。

心の浄化が肉体を変えるまでに至る時間について 2006年4月12日

 今日、患者さんの治療が終わる寸前に思い出したこと。それは病気と心の持ちようの間によこたわる時差、時間のずれのことだった。その方は乳がんなんだけれどもこの間さまざまな学びを経て今はとても心穏やかに過ごされている。でも胸の腫瘍のほうは少しずつ大きくなっていた。「どうしてなんだろう」といつもいぶかしく思ってらっしゃった様子。

 がんは心の持ちようや食生活、生活態度を変えることによって時に自然退縮をする。腎臓がんから脳、肺にまで転移してしまった寺山心一翁先生が「がんよありがとう」と心から言えたときからがんが治っていったと語られているのはよく知られていると思う。

 玄米菜食をしている、手当てなど各種療法をやっている、自助努力している、でもがんは広がっていく、なぜだろう、今やっている努力は無駄なのか?と思う瞬間は多くの人にあるはずだ。その疑問に答えとなっているかは分からないけれども今日、以下の文章をご紹介する。

 著者のベティ・シャインは「1929年英国ケニントンに生まれ幼い頃から透視や予知能力などの超能力を発揮する。様々な超常現象を体験し、心のエネルギーによって人を癒す力を身につける。有名な霊能者との出会いを経て、自分が治療家(ヒーラー)であることを自覚する。自分の特殊な能力を用いた治療活動を通じて、すべての人間が持つ心のエネルギーの素晴らしさを示し、患者の自己治癒力をも喚起する、新しいタイプの治療家である」と著書で紹介されている。

 この本はとても面白い。20世紀最大の治療家ハリー・エドワーズと並ぶ世紀屈指のヒーラーだった彼女の実体験が面白く語られていることと見えない世界への深い洞察から人は多くのことを学べるはずだ。その彼女が著書『スピリチュアル・ヒーリング』(ベティ・シャイン著、中村正明訳、日本教文社、平成三年)で次のように述べている。

 「心のエネルギーが理解できるようになると、当然のことながら私の診断にもその影響が現れてきた。透視による診断は現代医学の診断とは異なる。それは病気が最初に現われるエネルギー体の状態を診断する能力である。事実、私は病気が体に現われる少なくとも二年前にエネルギーの場にそのきざしが出ているのを霊視することができる。そして言うまでもなく患者の心のエネルギーの状態はエネルギー体の状態に強い影響を与える。したがって診断にあたっては心のエネルギーの状態にも注意を払わなくてはならない。」

 「透視による診断においては、体のまわりのエネルギーの場(オーラ)、エネルギーの場に通っているエネルギーの経路、体に備わっているチャクラ(エネルギーが集まっている場所)などを見る。私はストレスを受けている部位がどこかも言い当てることができる。それはエネルギー体は一つ一つの器官に至るまで体とそっくりそのままだからである」

 「オーラは七層から成っているとよく言われる。私には三つの層しか見えないが、病気の診断にあたってはこれで充分である。エーテル体と呼ばれることもある体のすぐ外側にある極めてはっきりしたオーラは、私が一番よく使うオーラである。その色は人々の思考内容や健康状態が変わるにつれ変化している。けれどもどの病気の場合にはどの色というように色の現われ方は決まっており、繰り返し観察することによって一つ一つの病気がエネルギー体にはどのように現われるかがわかるようになった」

 (中略)  「癌患者のオーラにはしばしば暗く生気のない部分が大量に見られる。何らかの器官を摘出されている人の場合にもオーラに暗い部分がある。エネルギーはまだその取り去られた器官の形をしているがずっとどんよりしている」

 「体の中にはエネルギーの経路も見える。これは鍼や指圧で言う“経絡(けいらく)”である。経絡は古代中国の透視力を持った人によって発見されたのではないかと思う。私にはそれは淡黄色の細い管に見える。経絡にはほとんど色のない(まわりに行くほど色が薄くなっている)部分が見えることがあるが、これは、その部分がつまっていてエネルギーの自由な流れが妨げられているということである。ヒーリングにおいてはこの流れをよくするよう心がけている」

 上記のような興味深い文章が三百ページ以上に渡って語られているのだけれども、ここで言いたいのは最初の太字の文章に述べられていること。この文章を逆に読めば「心のエネルギーが体に影響を及ぼすには2年近くかかる」ということ。たしか他の章でも1年半から2年くらいのタイムラグがあると語っていた気がする。

 がんに出あってさまざわなことに気づき心の持ちようが大きく変わり魂が浄化された。でも腫瘍はまだ体に厳然とある。そのとき大事なのはこの「川上の魂が浄化されたのちに川下の身体が浄化される(病が癒える)までには少なくとも1年半~2年のタイムラグ(時間の遅れ、ずれ)がある」という認識を持つことでくじけずに信じる道を歩むことではないか。

 腫瘍マーカーは依然として高い、腫瘍はまだ大きくなっている、転移もある、痛みも出てきている・・・。でも頑張ってほしい。もうすぐだ。もうすぐ身体が変わっていくから。そう思い続けて欲しい。

 もちろんこの“心の浄化と身体の浄化の時間的ずれ”が本当にそうなのか私にはわからない。しかし“物質はエネルギーが振動数を落として固体化したもの”という現代物理学から考えれば、浄化された心のエネルギーにより物質としての肉体が浄化されることはありうることだと思う。そしてそのとき重要なのが浄化された心(真心)から出る感謝や愛情であり、それを口で語ることでそれが言霊(ことだま)となり、美しい浄化された物質=肉体が形成されるのではないか。

 あなたの美しく新しい身体はもうすぐそこまで来ているのではないか。どうか恐れず弛まずそのまま学び続けてほしい、歩き続けてほしい。きっとがんは治るから。

HSP(Heat Shock Protein:熱ショックタンパク) 2006年4月18日

 先週の土曜日、冨田さんという鍼灸師の方がお見えになった。彼は門真市にある牧病院で癌の患者さんの治療にあたっているという。私のホームページを前から知っておりこのたび自律神経免疫療法の勉強会で研究成果を上司の医師が発表されるのでその方に伴って上京されたついでに立ち寄られた。

 さまざまな情報交換ができてよかった。大阪方面でがん治療をしている鍼灸院はないかという問合せは結構あって、そのたびに「いまのところ関西方面で自分が良く知っていて癌の治療をしている鍼灸師の方はいない」とお答えしていたからこれからは冨田さんのところをご紹介しようと思う。

 牧病院では炭酸の温水を浴槽にはってその中に1時間ほど患者さんに入浴してもらう治療を行っているらしい。なんでもこれは体温を上げた際にできるHSP(Heat Shock Protein:熱ショックタンパク)というものによって身体の免疫能をあげて病気を治すというもので詳しくは『HSPが病気を必ず治す』(伊藤要子著、ビジネス社、2005年)に書かれている。

 がんの治療法として温熱療法というものがあるけれども、これは私がかつて勤めていた病院でも採用していた。いくつかの種類に分かれるようなのだけれども牧病院で使われているのは炭酸温泉によるマイルドな温浴温熱療法らしい。

 炭酸温泉に入ると皮膚から炭酸が吸収されその結果として抹消血管が拡張し抹消の血液循環が良くなるという。その効果は長く続き風呂から上がって一時間経過しても抹消の血行は良く温かいとのこと。

 この炭酸温泉としては大分県竹田市直入のラムネ温泉が有名らしく、特に抹消の血液循環が失われ壊疽を起こす糖尿病に特に良く効くとのこと。冨田氏の話では「壊疽により足の切断手術が必要な45人の患者さんの36人が足を切らずに済んだということもあるそうです」とのこと。

 抹消循環が悪くなる糖尿病に効くのならがんにも効くのではないか。白血球中のリンパ球の数を増やそうという安保教授の提唱する自律神経免疫療法の効果をより高めるためには、血行を良くすることで増やしたリンパ球をキチンとがん腫瘍のある患部まで運ぶ必要があると思う。だから抹消の血行を良くするこの炭酸温泉浴はがんに効果があるのではないか・・・。実際に前述の本ではがん性疼痛緩和にも効果があるとされている。

 いま本当に効果があるかどうか自分自身で実験を始めたところで何かおもしろい結果が出たらご報告したい。膝のすぐ下あたりまで40℃前後の温水をポリ容器に浸し、その中に花王のバブ(炭酸が出る)を2つ入れて両足を突っ込み30分程度浸かっていることを始めた。確かに温水に浸かった部分の肌は真っ赤になっていて“足浴”としてとても気持ちがよい。

『癒す力はあなたの胸に』ガン回復物語から 2006年4月24日

 『癒す力はあなたの胸に』ガン回復物語(エリザベート・リュックハイデ著、シュミーク明子訳、春秋社、1999年発行)を読んでいる。

 著者のリュックハイデはドイツ人女性。若くして大企業の管理職となり社会的成功をこよなく愛していた彼女は乳がんになる。その後頬骨や肋骨、肺に転移するが生き方や考え方、心の持ちよう、食事を改めてこれを克服する。その闘病の経験から得たものを披露している。ガンの治療を「身体に対して」「魂に対して」「精神に対して」「食事療法の指針」などと明快に分けているところも小気味いい。がんに関わるすべての人に参考になると思うので一読をお勧めする。

 「私は西洋医学の助けを借り、食事の内容を変え、代替療法から心を安らぎで満たすための方法を学ぶことで、がんを治しました。身体、精神、魂の間に調和が戻れば、病気を治すことはできるのです。ですからこの本でお伝えしたいことは『決して諦めないでください』ということです。苦しい時、病気の時にこそ、私たちは一番成長しているのです」

 がんを治す過程で、重要だったのは次のことでした。

 1.病気を受け入れる。

 2.病気の原因を突き止める。

 3.医者にすべてを任せるのではなく、自分が病気を治す主役であり、責任者であると自覚する。

 4.どのように生きてゆくか、どのような治療を受けるかは、自分で検討し決断する。

 5.「課題」をさがし、最後までやり遂げる。

 6.治癒を信じる。

 7.どんな場合も物事を前向きにとらえ直し、不安に心を引き渡さない。

 8.柔軟な姿勢で、新しい挑戦にいどむ。

 9.「内なる声」に耳を傾け、それに従う。

 10.理性だけでなく、直感や本能も判断の基準にする。

 11.必要であれば、新しい道へ進み、その目標と意味を探す。

 12.心を喜びで満たし、喜びを表現する。そうすれば、不安が入り込む余地はなくなる。

 13.未来を思い悩んだり、過去を思い煩ったりしない。

 14.「今」をかけがえのない瞬間として生き、感謝しながら喜びのある毎日を過ごす。

 15.自分の力を強めてくれる人と付き合う。

 16.自分の強さは充分活かし、弱さは愛情深く受け入れる。

 17.他人のせいにせず、まず自分を省みることから始める。

 18.自分の個性を受け入れ、伸ばし、自分が作った限界をはるかに超えて生きる。

 19.心を開き、自分の力の源泉を探す。必要なものはすべて私たちの中に蓄えられているからだ。

 20.自分を癒し、幸せにできるのは自分だけだということを自覚する。

 今日、治療中に肝臓がんの患者さんにこれを聞いていただいたら「うーん、5~6個くらいしかできないなぁ」と笑っていた。そう、簡単なことではないと思う。これらは実行に移すのは大変だ。でも上の項目の“病気”という文字を“出遭う災難や困難”と読み替えればそのまま“人生を直す過程で重要なこと”となり、すべての人に参考になりうるものだろう。

がん、治っちゃったよ集会に参加して 2017年1月30日

長文です。

今日は午後診療をお休みにして、昨日に引き続き杉浦貴之さんのお話しを聞きにきました。20名くらいの参加者でした。

以下、内容の要約です。

・「治す」をナビの目的地に設定しない。これを通り越して楽しいこと、夢をゴールとすること。

がんを乗り越えるマインド10カ条

1。「がん=死」という思い込みを打破する。

2。「がんを治す」と決意する。

3。「がんは治る」と確信する。前例に出合いマインドセットを起こす。

4。治療、養生法が効いているイメージ。そして、がんを治した後の目標を持ち、未来の元気な自分のイメージを描く。

5。自分を受け入れる。自分の価値を認める。

6。発症を生活改善の『チャンス』、人生をより良くするための『メッセンジャー』と捉え、人生を楽しんでいく。

7。治療法は自分で決める。あふれる情報に流されず、自分の感覚を信じ、覚悟を決める。

8。闘病を隠さず、人に伝え悲しみも喜びも分かち合う。

9。人の支えに対し迷惑をかけていると思わなくていい。思う存分、支えてもらう。彼らへの感謝。

10。死を受け入れる。

・18年前、私が28歳の時に腎臓のがんと告知され、親には「早くて半年、2年後の生存率0%」と余命宣告されていた。

・その時までに自分が持っていたがんに対するイメージは「がん=死」だった。この思い込みを解いていくことが重要です。

・まず自分は上の2の「がんを治す」と決意した。

 そして治った人に実際に会いに行った。例えば寺山心一翁さんとか。

 自分が「がんを治せる」と確信するまで、心の腑に落ちるまで、この「治った人に会いに行く」ということを繰り返した。

・苫米地という脳科学者が「病は気で治る」と著書『がんを克服する脳』で言っているが、ここで言っている気とは"確信””腑に落とす”ということ。

・がんを克服できると確信すること、イメージの中で未来の自分が幸せに過ごしているところをリアルに想像する。これが大事。僕はこれで治した。

・ではなんで治した人に会うと元気になっていくのか?

 スポーツのオリンピックの世界記録の話だが、世界記録を出すにはもちろん栄養、環境などもあるが、「最後はその選手がどれだけ脳を変えることができたか」が鍵となる。これを「マインドセット」という。

・人間の脳は通常、自らの肉体が壊れることを避けるため限界まで能力を出すことを避けている、ブレーキをかけている。世界記録を出せた選手は少しばかりこのブレーキを緩めた人。そしてがんを治した人も同様に、このブレーキを緩めた人だ。

・日本陸上の世界で17歳の桐生選手が10.01秒という記録を打ち立てたあと、日本のジュニアの選手たちの記録が一気に上がった。これは若いジュニアの選手の気持ちの中に「僕たちにも9秒代を出せるかもしれない」という思いが芽生え、当人たちの無意識のレベルで脳がブレーキを緩めたのではないかと思われる。

・治った先輩たちに会いに行って元気になったので12年前にメッセンジャーという季刊誌を作り始めた。この本は僕が実際に会いに行ったがんサバイバーさんのお話をたくさん載せています。

・その中で最近印象に残っているサバイバーの方にMさんという方がいます。

 Mさんは今から10年前にスキルス性胃がんと診断されました。でも今でもお元気で過ごしていらっしゃいます。彼女は料理人で東北の海産物をイベントで販売していました。30年前に南三陸の大きな旧家に嫁いだのですがそこからの家族関係が厳しかった。

 ある年のお盆の直前彼女は吐血をし救急車で運ばれます。薄れいく意識の中でMさんは「あ〜これは今まで自分が我慢に我慢を重ねてきたからだ・・・」と思ったそうです。

 病院に運ばれ緊急手術で胃、膵臓、ほかの臓器も広範囲に摘出してなんとか一命はとりとめたものの「もう余命はない」と言われる状態だったとか。その後抗がん剤をしたものの肺に転移。その治療でしずかわ病院に入院している時に東日本大震災に遭遇。

 当時入浴中だったのにもかかわらず最後の大揺れで湯船から放り出され奇跡的にうまく着地、目の前にいた看護師さんが手にしていたバスタオルを放り投げてくれてそれを体に巻きつけて階上へ階段を上がろうとします。あれだけ大きな揺れの後には必ず津波が来ると思っていたそうです。

 ところが4階へ上がる階段にはそこまで辿り着いて動けなくなったお爺さんお婆さんたちが座り込んでいて上がっていけない。もはやここまでと思っていたらその方たちから「あんたなにをしている!早く上がって行きなさい!私たちを踏みつけていっていいから。若いあんたは助かりなさい!」と叱られ、泣きながら彼らの体の上を踏み越えて階上に上がったとか。

 そして津波が来るあと一歩というところで助かったそうです。その時、病気の自分が助かって申し訳ない、ごめんなさい、元気な人が自分の目の前を津波で流されていくのを見てなんで自分が生き残ってしまったんだろう、と思ったそうです。

 そして次の日の朝日を見た時、「私は生かされたんだ」と思え「スイッチが入った」そうです。それまで治すこととか考えてきたけど、もうそういうことにはこだわらない。未来も考えない。自分は病人だと捉えることもやめることにした。そして3時間かけて歩いて自宅まで帰ったそうです。

 そして自宅近くの避難所で毎日炊き出しをした。自分は病気ということを忘れて今目の前にできることをするだけでした。

 それから被災地に入ったテレビ局の放映でMさんが炊き出しをしている姿が映り、それをかつてMさんを診ていた医師の先生が見つけた。スキルス性胃がんだったのにずいぶんあれから日が経っている、その上あの多くの被災者を出したしずがわ病院に入院していたのに生き残って、さらに元気に炊き出しまでしている・・・

 その先生が彼女のその後を診てあげようと申し出てくださって検査をしてみたところ、肺に転移していたがんは消失していたそうです。Mさんの体からはがん細胞がなくなっていた。

 Mさんは「ただ、いま、自分が生きていることが奇跡だと思え、体に感謝をしました。そして自分ができることをしてきただけです」と。

・人はストレスを受けた時にコルチゾールというホルモンが出て、これが免疫を抑制、体にダメージを与えると言われています。

 しかし、ストレスをプラスに捉える、プラスの意味づけをした時には却って免疫が高まるそうです。これをPTSG(心的成長?すみません、聡哲、聞き逃しました)といいます。

 MさんにはPTSGが起きていたのではないか?

 そのあと、レストランを作りたいという夢を持ち、そして現在では多くの方の賛同を得てレストランを開業、営業されています。

 Mさんは自分が我慢を重ねてきたことが病気を作った、と言っていました。

・僕も子どもの頃から「自分はいい子になろう」「そうすれば家族が少しは平和になるから」と我慢をしてきた。

 そして自己評価がとても低かった。

・しかし28歳でがんを告知された時に母親が告知した医師に食ってかかってくれた。「冗談じゃない。私が治してやる」とも言ってくれた。そして「生きているだけでいいから」、「あなたが生きていてくれるだけで幸せだから」と言ってくれた。泣きました。 

・患者さんには「大丈夫だよ」とか治す力を引き出す言葉を投げかけてあげてください。

・看病する方も自分を犠牲にすることなく「自分の人生を楽しむ」ことをしてください。

・どうやってがんを治してきたか?

 ありとあらゆることをやってきた。26歳の時友人ががんで亡くなった。その2年後自分ががんを発症した。友人に勧めていたアガリスクを自分が飲んだ。これが最初の「希望」だった。完全に絶望していたのではなかった。細いながらも命綱があった。

 その後20種類くらいのサプリメントを試した。ほかにも温熱療法(ビワの葉温灸、イトウテルミー、三井式温熱療法などなど)、ヨガ、呼吸法、ツボ、お札、飲尿療法、五本指ソックス・・・1ミリでも体にいいものをやった。

 いま思えば3つのことが良かった。

手術したこと、仕事を辞めたこと、宮崎に引っ越したこと。

 これはいずれも手放したことだった。(がん細胞、仕事、実家)

 取り入れることも大事だけれども、治ることを邪魔するものをどんどん取っていった。合成界面活性剤、添加物、ネガティブな考え、人物・・・

 やめることは取り入れることより覚悟がいる。どういう思いでそれを選択していたか?自分の命の望む方向で行動していくとよい。

 医師とか誰かの言いなり、親の期待に応える、のではなく、自分が喜ぶ方向へ行く。

 特に自分が良かったと思ったことは「夢を持ったこと」と「自分ななんのために生きているか」と考えたこと。

 病気を治すために生きる・・・そんなのは嫌だ。

 「治る」ことは通過点で「これだ〜!」と自分がわくわくする、喜ぶ夢を設定したことが大きかった。自分はいろいろ妄想したがホノルルマラソンをもう一度走りたい、結婚したい、という2つの夢を夢想した。

 そして、「ホノルルマラソンを走り終えたゴールでフィアンセと抱き合い、次の日にハワイで結婚式を挙げる」という夢をリアルに想像し続けた。

 今までホノルルマラソンはもう走れないとか結婚なんかできないと自分で制限していたのをやめた。自分で自分の制限を外した。

 これが嬉しかった。自分を許せた。幸せを願っていい。涙が出た。

・「問題回避思考」では病気は治らない。「目的思考」でないと生きるエネルギーが湧いてこない。

・そして6年後、ホノルルマラソンを実際に完走した。

 この体験が「人間には無限の可能性があるのだ」ということを「体感」できた。これが非常に大きかった。

 これまでうちでは来院されたがん患者さんたちに実際に治っている人の話を聞きに行くことがとても良いですと話をするときにいつも寺山先生や杉浦さんの著書を紹介したりセミナーを紹介してきていた。

 杉浦さんのメッセンジャーも多く揃え、患者さんたちに貸し出してきた。

 今回、ようやく本人に会える機会が持てて良かった。実際に会ってみて声がいいこと、そしてなにより話が上手だなあと思った。

 今の時代、難しい話は笑って聞いてもらうことが一番いい。時折エロを交えて笑わせながらも大事なところ、ツボは外さず、体験からくる患者さんの役にたつヒント満載の話術はほんとうに素晴らしい。

 セミナーを聞かれていたランニング協会の方が「青山学院のマラソンチームの監督に推薦したい。マラソン人も病んでいる。彼らにお話を聞かせたい」と述べていたのも納得出来る。

 このあと札幌、長崎と全国のツアーが続くようですが、末長く患者さんたちに明るい希望を届け続けて欲しいと思った。

 杉浦貴之さん、ほんとうにありがとう。あなたがいてくれて嬉しい。

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