自然療法家
遠藤聡哲
インタビュー対談
「Visonary(ビジョナリー)」とは先見の明のある人、特に、事業の将来を見通した展望を持っている人という意味であるが、今日ご紹介する遠藤聡哲(えんどうそうてつ)さんもその一人。
2019年10月に(株)アナスタシアワールドを設立。山梨、長野県境にある、八ヶ岳南麓の原村(はらむら)のペンションビレッジを拠点にすべく活動を開始されている。会社創設の動機は、なんと「アナスタシア」(世界17か国、25,000,000部発行されている日本語版7巻のシリーズ本)の本に描かれた世界を実現するという壮大なビジョンからきている。
遠藤聡哲さんは、東京都目黒区自由が丘で聡哲鍼灸院(そうてつしんきゅういん)を2002年に開設し「自然療法」で2020年09月30日現在まで18年間、2500名の患者さん(内がん患者さん2000名)と向き合ったこられた。
2014年に出会った「アナスタシア」という一冊の本に触発され、この人生で達成したかったある夢の種が再び芽をだした、それは、地球を緑豊かな自然と動物達とが共生する場へ蘇らせること。
今日は、遠藤聡哲さんのインタビューの中で自然療法から学ばれた植物の力と、患者さんの死と対峙することで開かれた魂(スピリット)の世界について、そしてこれまで真摯に学びと実践が統合されたアナスタシアワールド創設についてお話を伺いました。
2019年10月に(株)アナスタシアワールドを設立。山梨、長野県境にある、八ヶ岳南麓の原村(はらむら)のペンションビレッジを拠点にすべく活動を開始されている。会社創設の動機は、なんと「アナスタシア」(世界17か国、25,000部発行されている日本語版7巻のシリーズ本)の本に描かれた世界を実現するという壮大なビジョンからきている。
藤聡哲さんは、東京都目黒区自由が丘で聡哲鍼灸院(そうてつしんきゅういん)を2002年に開設し「自然療法」で癌の治療を実践しこれまで1950人の患者さんと向き合ってこられた。2014年に出会った「アナスタシア」という一冊の本に触発され、この人生で達成したかったある夢の種が再び芽を出した、それは、地球を緑豊かな自然と動物達とが共生する場へ蘇らせること…
今日は、遠藤聡哲さんのインタビューの中で植物の癒しの力と、患者さんの死と対峙することで開かれた魂(スピリット)の世界、そしてこれまでの学びと実践が統合された新しいビジョン、アナスタシアワールドについてお話をお伺いします。
遠藤聡哲ヒストリーアナスタシアワールドへの軌跡
野草で薬をつくって遊んでいた少年時代と失った2つのもの
遠藤聡哲(えんどう そうてつ)さん、1961年、東京都目黒区生まれ、産婦人科の開業医をされている父親の影響もあり、小学校の頃から近所の野原で野草を摘んで薬つくって遊んでいたという。
父の治療室には医療器具がたくさんあって、子供の頃はちょっと怖いものもあったのですが、薬の瓶がおいてあるのを見て、子供心に、緑の葉と南天(なんてん)の赤い実をつぶしてビーカーに入れて色が混ざり薬みたいになるのが楽しくて、そんな遊びをしていました。実際にそれを飲んで試したことはないですが・・(笑)
ー今、自然療法をされている先生の原型がそこにあるのでしょうかね(笑)
改めて振り返ると、今でも治療に使う、植物を擦ったり、混ぜたりしている訳ですから、子供の時やっていたことと変わらないなぁって思いますね。(笑)
一貫して優しいトーンでお話され、時折、冗談を混じえながら、質問に対して丁寧に応えてくださる遠藤聡哲さん。周りから聡哲先生と下の名前で呼ばれているところからも人に対して謙虚でオープンな姿勢、在り方が伺える。(ここで筆者である私も聡哲先生と呼ばせて頂くことにします。)
ーところで、東京の自由が丘というと、都会のど真ん中、聡哲先生は自然環境保護の活動をされていたと伺いましたが、先生と、自然との繋がりをお伺いしたいのですが・・
そうですね、私が小さかった頃は、家のまわりは、野山や田畑がまだたくさんあったんですよ。そしてそこが私たちの遊び場だったんです。
それが、みるみる内に破壊されて、山が削られ、木が倒され、田んぼや畑やあぜ道がアスファルトで埋められていった。そこに、ビルがどんどん建ち、商業施設ができていったんですよ。
それを見ているのがほんとに悔しくてね。
ーなるほど、1965年には東京オリンピックがあり、ちょうど猛スピードで都市開発が行われていった時代なんですね。そして、その「失った」という喪失感が、今、緑の自然環境を取り戻したいという強い想いへ繋がっているんですね。
そして、もう一つの少年時代のエピソードは、聡哲先生が中学1年生の時に、お父様を病気で亡くされたこと。
ーお父様が亡くなられたことで、人生に与えた影響はどんなものだったと思われますか?
そうですね。なんていうか「人って死ぬんだな」って冷静に思いましたね。もちろん父親が亡くなった喪失感やその後、母が大変だったとか、自分の人生が変わっていったことなどありましたが、でも、だからこそ、生きているうちは好きなこと、やりたいことをやらなきゃ、と・・・・そんな風に子ども心に感じていたんだと思います。
一人っ子だった聡哲先生はお母様と2人になり、母を支える任務を引き受けるかのように、否応なしに精神的な成長を求められていったそう。学校の友達とはしゃいで遊んでいる中でも、一人、どこかその彼らが子供のようにみえていたという。
でも、今、やりたいことに向かってまっすぐに情熱を注いでお話される先生の姿は目をキラキラ輝かせ未来を見つめる少年のように見えるのだから、人生は面白い。
20代の熱心な自然保護活動と2回の転職、38歳で鍼灸治療院創設へ
ー先程の話にもありましたが、20代の頃、自然保護活動を熱心にされていたとのことですね。そしてそのことが2回の転職と今のお仕事に繋がっているとお伺いました。
そうですね、自然観察会のスタッフとして動いていましたが、当時は「自然を破壊し、環境を悪くしても良いと考える利己主義の金の亡者がいる、そういう連中を正さないとこの世は良くならない」と思っていました。でもそれは思い上がりだった後で気づくんですが、こんな他者糾弾型の運動は実るはずもないんですよね…。
卒業して就職した最初の会社は東急ハンズでした。特に消費してもらうための「製品」「物」をたくさん作りたい訳ではなかった、だから、生活のために自分の想いとは相反する中で働いていたんですよね。
数年後、配属されたパーティーグッズ売り場で私の仕事は「紙コップ」を売ることになる。自然保護活動の時、牛乳パックをつくるのに何百年生きていた巨木切っていることを知っている自分には耐えられないことでした。
その後、もっとエコ考えた商品設計をしている生活協同組合へ転職しました。そこでエコ製品の開発担当を任されてたんです。でも、バブル崩壊とともに景気が悪くなり、エコを重視するとコストがかかるという理由で、その部署の予算も削減されていきました。
ここにも自分がいる意味や居場所を失いつつあったところ、聡哲先生に転機が訪れれたという。
30代半ばでしたが、休暇でテニスをしていた時、身体を痛めてしまい、その時に整体師さんの施術を受けたところ、たちどころに回復し、こんな仕事いいなぁと感銘を受けました。色々探した結果、鍼灸師を目指すことにし、生協の仕事を定時で終わらせ夜間の鍼灸マッサージの専門学校に通って国家資格を取得するという生活を始めました。
こうして、仕事と学業を両立させ、3年後に無事に国家資格を取得。その後、統合医療を行っている癌専門の病院に採用され、鍼灸スタッフとして100人以上の癌患者さんに施術した実績を積まれた、そののち、2002年に自宅を開業し「聡哲鍼灸院」を開業されたという。
「自然療法」と一冊の本「アナスタシア」との出会い
ー聡哲先生の「自然療法」のきっかけとなったのは舌癌の患者さんがきっかけと伺いました。
そうです。痛みが酷く口が開けられないという患者さんの依頼で、びわの葉温灸を5分程、施しました。そうしたら、痛くて口が開けられないと言っていたのが、痛みが和らいで口が開けられるようになったんです。これはすごいと思いました。
ー自然療法の第一人者、東城百合子さんからも学ばれ、また植物のもつ力を信頼し、ご自身でも自然療法を研究するようになり、治療院内で実践されていかれたとのことですね。
そうですね、そんな中、「アナスタシア」という本に出会い、第1巻に非常に感銘を受けました。
「種はお医者さま」というくだりです。
全ての植物は人間を助けるために存在しているという内容です。
「まずは、植物に自分たちの体の情報を伝えることから始めるんです。
その方法は撒く前の種を舌の下に入れて9分間。その後、手の平に出し両手で挟んで体温を教える。そして、手のひらを開き「はーっ」と息を吹きかける、するとこれで植物に自分の肺の情報が伝わる。そして裸足で大地の上に立って、手のひらを天に向けて星の光を植物の種に当てる。そうするとその光をキャッチした種は発芽の時期を的確に決定します。
この種を地面に植えます。ただし植えてから三日間は種に水をあげてはいけない。なぜなら唾液が流れてしまうから。
水は種をまいてから4日目からあげるのだが、その水は朝起きて足の裏を洗った水を使う。なぜなら、私たちは足の裏から夜の間に毒素を出しているので、その毒素を含んだ水を植物が吸収するからです。
このようにして、植物がその人の情報をキャッチして、その人に必要な成分を満たしてオーダーメイドの薬を作ってくれる。」という内容でした。 だからこそ、アナスタシアがいう様に、100メートル四方(10,000㎡)の土地を持てればそこで2,300種類の植物を育てることができるので、先程の話のような種の撒き方で植物を育てることができれば、自分や家族の健康を守ることができるんだ、と本当に腑に落ちました。
これまでの経験から私は病のほとんどは身の回りにある植物によって癒せる、治せると思うようになっています。
そして、このことが、自然、環境保護活動に関わっていた想いと深く繋がっていったんです。「この星を緑豊かな場所に戻したい」と。
そして、社会環境も決していいとはいえない私達が心身共に健康になるためには、今の生活を根本的に見直し、大地と共に生きて行く道に立ち返ることが必要だと強く思う様になったんです。
アナスタシアワールドの事業の中で、そのための道筋の一つを示せたらと思っています。。
魂の存在への目覚め
聡哲先生は、病気や治療に関して、「肉体」だけでなく、「それらの生命エネルギー」、「目には見えない存在、チカラ」も影響しているという考えをお持ちのようですが、それにはどんなきっかけがあったのでしょうか?
ある時、乳がんの患者さんの往診に言った時、自宅にまだ幼いお子さんが走り待っている中で、その子のお母さんである患者さんがふと呟かれたんです。
「こんな小さな子供たちを置いてどうして私はどうして死なないといけないんでしょうか?何も悪いことをしていないのに、私が癌にならないといけないんでしょう?死んだらどうなるんでしょう・・・」と。
やがてこの患者さんは亡くなってしまったのですが、この時に自分が癌も治せなかった、そして彼女の心の痛み、苦しみも取り除いてあげることができなかった、と、大きなショックを受けました。
そんな時、鍼灸師の友人がある本を紹介してくれ、それが『シルバー・バーチの霊訓』という本で、いわゆる霊界通信について書かれた本ですが、この本の誠実なメッセージに霊的な存在について心を開くことができ、腑に落とすことができたんです。
肉体として人間の一生は借りの身で、「魂」は永遠である、「死」は一時的なことであるという概念を患者さんにきちんと伝え、肉体だけでなく、魂から癒していくことも治療であると認識してもらうようにし始めました。
魂は永遠であり、次の人生に引き継がれる、そう考えると、息を引き取る最後の瞬間まで、その肉体で経験していること、心をどう扱っているかはその魂に記憶されるということです。だから「死」は終わりでなく肉体の最後までどう生きたか?が大事なのです。
そんな聡哲先生は、患者さんの心、そして魂を癒す意図を持って患者さんへヒーリング効果の高いハープを演奏されるのだという。時に、お亡くなりになった方には、永遠であるスピリットに敬意を込めてハープの演奏で葬送されている。
自然療法、目に見えないレベルまでの癒しを実践されてこられた聡哲先生だからこそ「アナスタシア」の本への理解が深く、またアナスタシアの叡智に対する尊敬の気持ちが、本の示す世界の実現へと強い想いが現れているのがわかる。
さて、ここからはアナスタシアワールドについてお話を伺いたいと思います。 アナスタシアワールドの事業でどんなことを実現されたいとお考えでしょうか?
そうですね。まず、土地を確保することで、皆が安心して長く暮らせる環境を実現することです。その土地を生き返らせるノウハウを皆で学び、野生生物も共に暮らせる環境にしたいです。
そうすることで、人と動物の共存社会を目指しています。
シェアハウス、シェアサロン、シャアカーといった「所有」の形態に捉われない生き方もそこで学べるような場所もつくりたい。
自給自足できる農物の作り方を学びあったり、講習会を開催したり、日本語版シチューニーニ先生の学校や神社小屋(寺子屋のようなもの)の設立や運営をして、いきたい。
環境負荷の少ない建築物、ドームハウスやオーバルハウスを皆でつくってみる機会をもったり、また介護と保育が併設した場を創ったり、シングルマザーのシェアハウスを設けたり、多様な世代が集まってお互いを補いあって生活する場を設けたい。
ー聡哲先生のたくさんの夢と事業構想をお伺いすると、こちらまでワクワクしてきます。そのモチベーションの源はどこからきているものですか?
そんな壮大なものじゃないんですよ、ただやってみたい、やらなきゃ、面白くない!っていうそんな感じですかね?
これも霊性の話になるんですが、魂レベルで人生をみると「失敗はない」んですよね、そして、何より実践することが大事だと、何かの本で読んだか記憶が曖昧なのですが、最も人間の霊的成長を促すことは何か?というと、それは事業を起こすことらしいんですよ。
自分が描いたことを具現化する行為が「神」という存在に近づくことらしいんです。
ーなるほど。0から1を創り上げる創造力ですね。
そうです、肉体をもっているこの次元では、自分のもっている手持ちのカード、お金、時間、人や努力という意味ですが、それで自分の願ったこと、想いを現実化すること、これが人の霊的成長を促すということのようです。
そして、アナスタシアワールドの目指すところは、自然、植物や動物たちと共生の世界を再び取り戻すこことです。自然界と共生するには、人間の利己主義、エゴを超えた先にできるこのだとおもっています。だから、実践を通して人々が目覚めていく、そうしながらアナスタシアの世界が実現していくんだとそう思います。
痛みを抱える患者ばかり見て来たから
お伝え出来る事が有ります。
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まとめ
2019年10月に自分の想いを外に向かって発信することで、協力者を得て、具体的に動き始めた(株)アナスタシアワールド。遠藤聡哲さんの人生ストーリーーアナスタシアワールドへの軌跡をお伺いして一貫して感じるのは、「強さ」と「優しさ」この2つが共振していること。
自身の信じる真実へと忠実に進み続け、現実を形創っていかれる大胆さ、また人々を癒し、自然と共生する楽園の創造は彼の慈愛が表現されるものである。
この遠藤聡哲さんの情熱と繊細な愛情に人は自然と惹きつけられる。
混沌とした時代にいる私達がこれから踏み出す迷える足元に、叡智の方向を照らす一筋の光、アナスタシアワールド。
この実現に向けて無から有をつくる神へと近づく彼の冒険は、これから関わる人々のハートにビジョンを届け、魂へと響かせていく。
これがビジョナリー遠藤聡哲さんの真の魅力である。