がんの意味に関するエッセイ

がんは個人の病ではなく地球上すべての生き物の痛みだ 2005年4月3日

 がんは決して一人の病にしていてはいけない。私たち皆が責任をもって当たらないといけない病であると思う。
 私たちはすべてつながっている。一人のがんを患う人の痛みを私達は全員で分かち合わないといけない。なぜなら現在の環境汚染の激しい世の中では生命として健全に過ごすこと自体が難しいことであり、がんを患うほうが当たり前だろう。だから目の前のがんを患う仲間はそうでない仲間よりたまたまがんが生育しやすかっただけかもしれないのだ。

 がんを患っている仲間を見て「可哀想に」「運が悪かった」と勘違いしている余裕はないはずだ。現在がんを患っていない人が明日がんだと診断される可能性もあるのだから。

 私はシルバーバーチの霊訓にある「がんを治すものは既に自然界に用意してある」という言葉を信じている。そしてそれが自然療法の手当てやエッセンシャルオイル、フラワーエッセンス、ハーブなどにきっと含まれていると思い学んでいる。

 だから自然を守ることはがんの治療法を守ることに直結する。私たち全員が物質的利益追求の考え方から脱却し、環境を守り、自然と共存する道を歩むことを選択することが、回りまわって、いやダイレクトにがんを患う仲間の助けになるのだと思う。

 前に日記に書いたように今の野菜は昔の野菜とは力が違う。トマトは匂いがしない。がん治療に使う野菜にパワーが足りなくなっている。そういう気がする。だから健全な野菜が必要とされていることを行動して示さないといけない。

 あなたが少し高いけれども無農薬の有機農産物を買うことはそれらを作っている農家を助ける。そしてそれを仕入れて販売しているスーパーの担当者の意識を変える。「ああ、多少高くても売れるんだな、それならもっと多めに仕入れよう。」と。そうやって世の中が変わっていく。

 今は人間界のみならず動物界にもがんが広がっている。地球の上のすべての生き物ががんで苦しんでいる。あなたの親類、友人、知人のがんは決して本人のみの病でなく、この星の上に生きているオールマイリレーションズ=私に連なるすべてのものの病であり、痛みである。
 がんを患う仲間を独りぼっちにしてはいけない。皆でがんを治そう。そして皆で幸せになろう。

内的変化 2005年5月1日

 昨日から霊的治療の内面が少し変わった。これまでレイキなどの治療では大霊や守護霊、スピリットへ「腫瘍を破砕し治してください」と祈っていた。しかし大霊は愛の存在のはずである。すべての命を貴ぶ存在のはずだ。それであれば同じ生き物であるがんを粉砕してくれという祈りは間違っていたのではないか。

 がん細胞は細胞がコントロールが効かなくなって暴走している命であり、確かに肉体の宿主からすれば生命を脅かすものである。しかし肉体と魂が別のものであり魂や霊が永遠の存在であり、肉体はその魂が成長を遂げる際に使う器と見做せば、その器の存続を願ってがんという一部の抹殺を図るのは間違いだと思う。

 よってきのうからはがん細胞に対し「愛している。憎んではいない。君の(宿主を悟らせる、霊的に浄化させるという)使命は理解した。ついては光に戻るように」という感じにがんを肯定的に捉えるように変化した。
 思えば寺山心一翁さんも「がんを愛して治した」と公言してはばからない。昨日からそのようなことを患者さんに伝え始めている。

バイブレーショナル・メディスン 2005年8月22日

 邦訳版『バイブレーショナル・メディスン』をこつこつ読んでいる。寺山先生が必読の書と仰るのも頷ける。
 僕のHPを見てもらえば分かると思うのだが、がんを霊的視点で捉えた表現をたくさん載せている。これは見えない世界のことを知ってもらいたいがために、たとえ多くの人に自分のことを怪しい奴と思われても、少数の分かってもらえる人に情報を伝えたくてリスクを承知で霊的なことを正面に出してきた。

 しかしこの書では霊という概念を使わなくても目に見えない世界のことを科学的に説明している点で、一般の人にも分かりやすいものではないかと思う。

 「我々人間という生命体がひとつながりの多次元的な微細エネルギー系であり、それらのエネルギー系がバランスを崩せば身体的、感情的、精神的、霊的レベルで病理学的変化があらわれる」という主張はまったく正確であると思う。
 いきなり霊的なことばかり書いている今の僕のHPは人の体をエネルギー体と見做して書き改めた方が受け入れやすいだろう。今後はその作業をしようと思っている。

愛を表現することで癌を癒す 2005年8月23日

 「チャクラ障害のうちでも心臓チャクラのブロックは最も深刻な結果をもたらす。心臓チャクラはチャクラの中でも中心的なエネルギー中枢である。それは三つの高次チャクラと三つの低次チャクラを統合する連結機能を果たしている。心臓チャクラはいわば、人間存在の中心でもある。なぜなら、われわれは心臓チャクラをつうじて愛を表現することができるからだ」

 「おそらく愛の表現は、この物質界に生まれてきた人間に課せられている最重要課題の一つであろう。愛がなければ、存在は無味乾燥なものにしかならない。われわれは他者を愛するだけでなく、自分自身をも愛する必要があることを学ばされるのである」

 「われわれはまた自己の生活を維持し、豊かな暮らしを目指して生産活動をするだけではなく、仲間の生活を少しでも良くするために、様々な形の奉仕によって他者に与え返すことを学ばなければならない。すでに指摘したように真に他者を愛することができるようになるには、まず自己を愛することを学ばなければならない」

 「自己を愛することができず、貧しい自己イメージを抱いたまま生活していると、エネルギーのブロックがまず心臓チャクラに発生しそれが胸腺に影響して免疫力に障害をもたらす。機能が低下した免疫系は、常在ウイルス、細菌、あるいは致命的ながん細胞など外因性・内因性の原因に対していとも簡単に屈服してしまう」
 以上『バイブレーショナル・メディスン』リチャード・ガーバー著、日本教文社より

 →子供時代の親からの無条件の愛を受けた体験がない、あるいは少ないと自己肯定感が低くなり、病気になりやすい、あるいは病気から治りにくいことが多いにあるように臨床体験から強く感じている。

癌の意味 2005年8月30日

「がんはおそらく、現代においてもっとも恐れられている病気である。心の力を利用するユニークな治療法もあるが、それは目下、議論の的になっている段階である。これは瞑想やイメージ法を行うことによって免疫系をコントロールする力を身につけ、体内のがん細胞を積極的に取り除こうとする治療法である」

 「放射線腫瘍医のカール・サイモントンによって開発されたこの手法は、主治医に見放された多くのがん患者に希望を与え、実際に治癒した人もいた。この方法によってがんを克服した人の中にはたいへんめざましい変化をとげた人がいる。ライフスタイルや考え方ががらりと変り、そしてしばしば病気になる前にくらべてはるかに高いクオリティ・オブ・ライフを身につける。なかにはみずからがん患者のカウンセラーになる人もいて、新たに身につけた人間的な強さと洞察力を、同じ病気におかされている人々と共に分かち合おうとしている」

 「それらの人々においては、破局的な病気が転換点となり、新しい意識状態とライフスタイルに移行することが可能になったと考えられる。深刻な病気をも贈り物として感じ、人生のより深い問題に対する洞察力を深めることによってはじめて、彼らは治癒と言う成功を勝ち取ったのである」

 「それはまさに生死をかけた大問題であり、それまでに身に染み込んでいた自己や他者への思い込みの変更を余儀なくされることが少なくない。死という現象は多くの理由から、たんに生から死への移行という意味以上に、一種の「変容のプロセス」であることが知られている。そうした人々は、自分の存在の本質的な部分を脅かし、その変更を迫るようなできごとがなければ、『自分にとって一番大切なことは何か』『自分の生涯の使命は何であったかのか』について立ち止まって考え直す機会はなかっただろうという気付きに至り、あらゆる事象を肯定的に捉えることができるようになるのである」
 以上『バイブレーショナル・メディスン』リチャード・バーガー、日本教文社

 →自然療法の東城百合子先生の「病気は『気づきなさいよ、変りなさいよ』という神様からのお手紙である」、ガンの患者学研究所の川竹文夫氏の「ガンは神様からのラブレター」との発言と上の文章は同じことを言っている。

 がんなどの病気だけでなく災難や事故などの自分にとって嫌なもの、不快なもの、災いをなすものが実は自分を気づかせて育てるきっかけともなるものである、と言われている。要はすべてのことは「物事に対する自分の捉えかた次第」ということなのだろう。これが「幸せは自分の内にあり」ということなのでしょうね。

がん患者の感情的傾向の一研究 2005年11月25日

「キャロライン・トーマス博士による性格特性と感情的傾向性の研究のように、がんや心疾患の発症が家族関係や心理的因子から予測可能であることを示唆するものがある。

 トーマスは1948年から1964年の間にジョンズ・ホプキンズ大学医学校を卒業した1300人の学生を対象にして、長年にわたって追跡調査を行った。博士は当時ジョンズ・ホプキンス大学に在籍していた医学生全員の詳細な家族歴情報を収集し、さらに被験者の身体所見と心理学的データを集めたのである。

 やがて中年を迎えた被験者の医師達がさまざまな病気で倒れるようになると、博士は過去のデータを紐解き、特定の疾患を発症した医師のグループ内に共通の心理学的因子がないかどうかをチェックした。

 するとがんになった人たちのグループに一定の心理学的共通点が見出された。興味深いことに、後にがんを発症した人のグループの特徴は、自殺したグループの心理特性とよく似ていた。彼らの多くが両親との間に感情的な不和があったと報告していたのである。がん集団のメンバーは父母の間に感情の不和が多いと感じてもいた。じっさい、自分のごく若い頃から家族関係が良好でなかったと感じていた人の割合が最も多かったのはがん患者の集団であった。

 ローレンス・ルシャンによるべつの心理学的研究は、多くのがん患者が習慣的に自己の感情を押し殺しており、とくにマイナスの感情を抑制する傾向があることを示している。家族からのこのような疎外感は人生の後半における深刻な抑うつ状態に影響を与えているかもしれない。

 こうした否定的な感情パターンは、自己および他者への愛を表現する能力とも関係している。所期の親子関係が原因で否定的な条件付けの影響を受けている人もいる。幼児期の歪んだ自己イメージは後年の対人関係能力に影響を及ぼし、他人との自由な交流を困難なものにしてしまう。そして表出されない怒りの感情や敵意が内部に鬱積していく。

 こうして自己や他者を愛する能力を損なうような感情のブロックがつくられ、それは心臓チャクラの異常を引き起こす。そうした異常なエネルギーバターンが存在すると、免疫系を始めとする心臓器系の活力も低下して、しだいに深刻な臓器障害をきたすことになる」
 以上『バイブレーショナル・メディスン』リチャード・ガーバー、日本教文社

 心臓チャクラに主に栄養される部位は胸腺、心臓、肺、乳房と言われている。これらの部位のがんの原因として上記の視点から探ることも留意したい。

『プレアデス 銀河の夜明け』から」 2006年2月20日

 『プレアデス 銀河の夜明け』(バーバラ・ハンド・クロウ著、高橋裕子訳、太陽出版、2004年)は著者にサティアと名乗る宇宙生命エネルギーが憑依(チャネリング)して宇宙の叡智を伝えるという内容の本である。

 「わたしはサティア、プレアデス人の大集団を指揮しています。わたしはプレアデスの中央図書館であるアルシオネの記録の守り手です」と語り様々な情報を伝えてきている。

 しかし今の私にはこの本は理解しがたい。未知の言葉、概念で埋め尽くされていて10%も理解できていない気がする。しかしがんの治療にヒントになるものはないかという視点で気になる言葉をピックアップしていこうと思う。霊的なことが検証できないと同様にチャネリング情報も検証できないが、検証できない事柄からでも現実に生きる上で参考になりそうな情報は活用したいから。

 ☆第1章 宇宙のパーティ から
 「どんな病気にも植物の中に対応する特効薬があります。それぞれの病気が教えているものを学びさえすれば特効薬はすぐみつかるはずです。エイズは死を尊び死に感謝することを教える贈り物です。それを学べば自分の好きな死に方を見つけられるようになるでしょう」

 →前段の「どんな病気にも植物の中に対応する特効薬がある」という情報は心強い。「動物実験という動物の犠牲の上に成り立つ今の薬品開発は神の計画にはない、病気に対する薬は既に自然の中に用意してあります」とシルバーバーチの語る動物実験を書いた日記にあるようにがんの薬は植物の中にあるのだろうと思い、それを探す意欲がますます湧いてくる。しかし「それぞれの病気が教えているもの」が分からない。それを探っていく、探る能力を身につけることが必要のようだ。

 サティアは肉体を持たない存在のようだから死を超越しているらしく、いまだ死を忌避したい私には刺激的な言葉「エイズは死に感謝することを教える贈り物」とある。さらに「自分の好きな死に方を見つけられる」・・・ うーん、このへんは強い違和感を持つな(笑)

 「人体細胞の分子に含まれる電子はすべて光なのです。あなた方は本当は固体というより光です」「自分の喉のまわりに光をコード化した無数の糸が渦を巻き、真実を語るにつれてそれが垂直の光の棒に変わっていくのを想像してください。糸の束が傘のようにひらいて全身を持ち上げ、銀河系に種子を蒔きにいくのです。これは自分の真実を知り、語ることでしか成就しません」

 →“私達の肉体は実は光である”ことには強く同意している。そして喉の第5チャクラを使って自己を表現することが私達の存在意義であるとも。やりたいことをしない、自己実現、自己表現をしないことで光のエネルギーが凝り固まりそれがコード化して絡み合ってしまうと肉体の機能不全を起こす。それが癌など病の“見えない要因”だと最近思い至っている。

 渦を巻いて凝り固まった光エネルギーを“自分の真実、本当の自分”を恐れずに語ることでそれが光の棒に変わり、その棒があなただけでなくあなたの周りの環境、驚くべきことに銀河の果てまで影響するというのだ。病気は自己実現の道を強く歩き始めよ、というメッセージだろう。同じことを数年前に東城百合子先生の“あなたと健康社”の料理教室で「病気は神様からのメッセージ」という表現で何度も耳にたこができるほど聞かされたことを懐かしく思い出す(笑)

“正しく”から“楽しく”へ 2006年5月11日

『ただしい人からたのしい人へ』(小林正観著、弘園社、2002年、1500円)より抜粋。がんに関連する部分を。

 <悪いことをしてないのに>
 ある方が講演会の後の二次会でこのような質問をされました。「私の友人がついこの間、がんで死にました。その人は『世の中には悪いことをして人に嫌がられ、迷惑を掛ける存在でありながら楽しく愉快に生きている人がいるというのに、私は何も悪いことをしていないのに、なんでこんな病気になって死んでいかなければならないのか。理不尽ではないか。私が何を悪いことをしたというのか』と言いながら死んでいきました。そのことについて伺いたいのです」と言いました。 どうしてそんな不公平なことが起きるのか、というのが質問の趣旨でした。

 私はこう答えました。
「がんになって、あと数ヶ月の命と言われたとき、例えば自分の好きな絵を描いて何十点か残そうとか、作曲をしたり、好きな曲を演奏して録音して残そうとか、本を書いたり短歌や俳句を書いて残そうとか、そういうふうに自分の存在証明を残すということで気持を切り替えた人たちがいます。

 そのような人たちには、宣告された期間が過ぎても死なない、というケースが多々ありました。あと三ヶ月といわれた人が半年も生きていたり、半年といわれた人が1年も生き延びているという事実に驚き、病院で検査をするとがん細胞が消滅している、というものです。そういう例が世の中には多々あるようなのです。

 今の方のような『ほかにもっと悪いことをしている人たちがたくさんいるのに、その人たちには何も起こらなくて、何も悪いことをしないで正しく生きてきた私になぜこんなことをが起きるのか』という質問は、自分の運命を恨み、呪って、受け入れなかったことのストレスのゆえのものだったかもしれません。
 自分が『正しく』生きてきたかどうかではなく、問題は『楽しく』生きてきたかどうかなのです」

 「正しい」ということを人生の中に掲げて生きてきた人は、多分つらかっただろうと思います。「正しい」かどうかではなく「楽しい」かどうかです。自分がその生活が楽しいのかどうか、それを基準にものを考えるということが、実はとても重要なことのように思えます」

 →これまでベティ・シャインなどの霊能者の本を読んできて生命エネルギーが伸びやかでなく鬱屈しているとその影響が身体に及んでやがて病となると学んだ。「人はこの世に使命を果たしにくるのではなくただ経験を楽しみにくる」と考えれば「生き生きと楽しく過ごせないことは人の本来の姿ではない」のだろう。病は楽しくないと魂が感じていることの身体への表れなのか。もちろんいつも笑顔で楽しそうな人だって病になるのだからこれが正しいかはわからない。あ、いかんな。まだ正しい正しくないで思考している。

 ですから「自分は正しい生き方をし、ほかの人は正しくない生き方をしてきたにもかかわらず、正しいほうの私が病気を得て、正しくない方の人がのうのうと生きている」と考えること自体が、すでに自分の身体にがん細胞を作っているということになりそうです。

 <悟りとは受け入れること>
 先述しましたが受け入れるためには3秒あればよいのです。
 一秒目、過去のすべてを受け入れること。
 二秒目、現在のすべてを受け入れること。
 三秒目、未来のすべてを受け入れること。
受け入れることが悟ること。

「こうありたい」「こうあってはならない」と思うことはそのどちらも執着ということにほかなりません。執着していることが、自分にとってのストレスになり、ストレスが身体を壊していくようです。悟りとはただただ受け入れることなのかもしれません」

 →執着にはいろいろある。「玄米菜食しなきゃいけない」「考えを変えなきゃいけない」「魂を磨かなきゃいけない」・・・・。これらもそうだ。ぼくが今まで思ってきたし患者さんに言ってきたことでもある。でもこれも執着なんだろう。

 がんを治すのにこれまでの自分を省みて思うところあって変えようと努力はし始めた。でも「変えられればいいな、でも変われなくてもいいや」という柔らかい姿勢、目標設定しない、努力しない、受け入れて楽しむことが大事という道と、治すためにはきちんと目標設定して努力しないといけないとひたすら頑張る道。正観さんは「お好きなほうを。それは人の趣味の問題ですから。正しい正しくないではないですから」という言い方をしている。

 最近「がんを治すための代替医療は自分の直感で選びましょう」とコメントしたんだけど、正観さんの本を読んで“直感”よりも“それが楽しいか楽しくないか”で選ぶことがいいのかも、と思い始めている。

乳がんの意味 2007年1月9日

 今日の新患さんは印象深かった。右胸にしこりがあったので詳しい生検を先日行って10日にその結果が出る、という状況でうちに来院されていた。

 いつもどおり症状の聞き取りから始まって既往歴や食生活、睡眠、便通などの日常の健康状態、そしてもしがんだったとしたら何が原因なのか、その心当たりはあるか、など問診をし1時間20分くらいかかった。

 心理学的な面から見た乳がんの意味をクリスティン・ペイジ先生が『チャクラ 癒しへの道』(サンマーク出版)で表しているんだけど、「参考までに」と前置きしてそのページを読んで差し上げた。

 「心理学的な観点から見ると、がんの項目で列挙した性格の特徴が完全にあてはまります。つまり、怒りを抑圧しながら周囲の人々を養育し、元気づけることが生きる目的になっているタイプで、そうすることが豊かな人生を約束してくれると信じているのです」

 「しかし通常どんなことが起きるかというと献身的に皆に尽くしても、そうされて当然のような態度を誰もが見せ始め、行き場の無い悲しみを感じるようになります。そして失望感を抱えたまま、見捨てられたように思い、怒りを覚えますがそういう気持ちを表に出すことはありません」

 「私の所見では、左胸に症状が現れる場合は、男性や父親などに関連した問題がある証拠で、右胸の場合は女性や母親などとの関係にトラブルを抱えているようです。治療プログラムには患者本人のみならず家族も対象とした心理療法が必須です」

 読み終えて彼女の感想を聞くと「まったくその通りです」とのこと。旦那さんとの関係でとても寂しい思いを長いことされていたようだった。そして母親との関係ではずっと母親から「女性は家庭的なことが一番」と言われ続けてそれにとても反発を覚えていたとか。また男性の友達の方が気安くかえって女性の友達との関係を結ぶほうが難しいとも。「だから右胸なんでしょう」と納得されていた。

 あまりプライベートなことはここには書けないけれども「病気はメッセンジャーであり大事なことを伝えに来たもので決して敵ではない。そして貴女に今、変化することが必要な時期が訪れているのではないですか」という投げかけに素直に頷いていらした。

 乳房は自分ではなく他者を養育する象徴的な部分だ。がんそのものは全身病であり、発見された部位によってその意味するところが異なるとぼくは考えている。乳がんの場合は「私は人を育てているけどその私の面倒は誰が見てくれるの?」と訴えていると見做していいのかもしれない。

 彼女もまた周囲に気配りをする“いい人”を演じてきた人だったようだ。いみじくも彼女が言った「私、寂しかったんです」という言葉がすべてだろう。

 幸いお話を聞いているかぎり旦那さんは彼女を避けているのではないようなので、彼女が素直にご自分の胸のうちを旦那さんに打ち明ければそれだけでも変わっていくことだろう。

 サウルハープの“マリア”の助けも借り、そして小林正観さんの『楽に楽しく生きる』もお貸ししてまた次回の予約日にお待ちすることにした。ご自身でも不思議な体験をされているようなので僕の話も割りと腑に落ちたようで話す甲斐があった。

 10日の検査結果が良好であれば今日お会いしたのが最初で最後となりこれから会うこともないかもしれず、まさに一期一会になるかもしれない。結果も何も出していないし何も変わっていないがそれでも自分の中では深く印象に残る2時間半だった。