がん治療 エッセイ

表と裏の距離(現代医学と自然療法との乖離) 2005年6月18日

 治療は難しい。ある治療師の方から聞いた話。

 乳がんの方を1年近く診ているそうな。その患者さんは転移もあって現代医学では治せないという状況だったらしい。しかし自然療法のその治療師の方に出会って食事療法なども指導され、また定期的にも治療を受けていたという。

 ところが食べ物については厳格な食事療法が守れずよく脱線して邪食をしてしまう方だそうで、マクロビオティックの先生からは3ヶ月で治るはずといわれていたのが長引いていたらしい。そして子供の頭くらいにまでがんが大きくなってしまったのだが、生姜湿布などの手当てを続けているうちに崩れるようにがんの病巣が小さくなったという。

 特に一番効果があったのは1週間ほど痛みで何も食べれなかったことだったそうでその間じゅうにどんどん崩壊して小さくなってしまったそうだ。足のむくみなども絶食の期間中にまったく元通りになってしまったらしく、やはりがんの原因はその人の普段の大食からくるものだったのだろうと治療師の方は言っていた。

 そしてもう少しでがんも全部崩れ落ちて無くなるという寸前まで行った時、気が緩んだのかいきなり豆腐一丁、まんじゅう8個を食べたらしく、そうしたら途端に今まで崩れ落ちていったがんからの出血が止まって、またむくむくと巨大になってしまい、同時に足も首肩もパンパンにむくんでしまったという。体から外に排泄する力が失われてしまったわけである。

 治療師の方もそのような状態では自然療法が間に合わないので急きょ入院を薦めてその方は入院したところ、医師から血液検査の結果貧血状態である、特にアルブミンという蛋白成分が足りないと説明されたらしく、それを聞いてこれまでがんが小さくなったにもかかわらず、治療師の方に「信じられない」と言いだしてしまって関係が悪くなってしまったとの事。

 玄米菜食などの食事療法でがんが小さくなっている時に、なんらかの症状が出て西洋医学的診断を受け貧血と診断されると、患者も心配になって栄養剤の点滴を受け入れることになり、そのためかえってがんがまた増大し始めることがある。

 これは私たち代替医療の治療者の説明不足、力量不足、信頼獲得不足でもあるとは思うのだがいつも思うとても残念なことだ。西洋医学的検査の診断結果を十分参考にしながらも、それのみで判断せず自信を持って患者さんが取り組める代替医療を模索していきたいと思う。それが表の医学と裏の医学の間の距離を縮め、将来の統合医学につながっていくことなのだと思う。

心配について 2005年7月4日

 ちょっとストレートな物言いがありますが大事なことを話されていると思うのでそのまま載せます。

『愛の実践・神理の実践』知花敏彦、廣済堂より

 
 「皆さん方は心配をします。その心配することはマイナスのエネルギーです。例えばがん患者がいたとします。医者はがんは治らない不治の病と思っていますから、<これはがんだからもうじき死ぬであろう>と、このマイナスのエネルギーをまず最初にその医者が起こします。看護婦が起こします。医者は家族の人に伝えます。奥さんは<私の主人はがんで死ぬのだ>と、子供達は<お父さんはがんで死んでしまうのだ>と、家族全員でマイナスの破壊的な死の念を送ります。そして身内の人を始めてとし、親戚の人、知人、友達までが寄ってたかって殺してしまうのです。集団殺人です。」

 「<がんだから治らない。もう助からない。もう死ぬのだ>と、大勢の人からマイナスのエネルギーを送られますから、もう本人はたまったものではありません」
 「がんは治ります。決して不治の病ではありません。しかし、一旦がんを病むと殺す人が回りに一杯いるのです。妻でさえ主人を殺す張本人です。<がんは死ぬ。もう助からない>と、大勢の人の心で集団殺人するのです。恐ろしいことです。目に見えないだけで本当に恐ろしいことをしているのです」

 「今、地球上には、このような破壊的波動が、闇の波動が一杯です。その波動を清めるには<大丈夫だ>というエネルギーが重要です。大丈夫と言う言葉。これは強烈な救いです。全体に大きく影響するのです。大丈夫だという心のエネルギーを送るだけでこのエネルギーは全宇宙に影響します」

 →私には霊的な心眼がないから、大丈夫だと思った心のエネルギーが実際にどれほど世界を救っているかは実際のところ分からない。しかし私たちが思ったことと、行ったこと、言ったことの3つで世界を形成していると学んでいるので、心配するより大丈夫だと思うことの方がはるかに有益なことは知っている。

 話は変るけれども、うちに毎週通ってびわの葉温灸を受けている前立腺がんの方のPSA値(がんの腫瘍マーカー値の一つ)が前回の60から0.5まで下がってしまった。劇的改善だけれども彼の数値が改善した裏には「まったく心配していません」という日頃の彼のしっかりした心構えがあることが大きいのではないかと思った。

 シルバーバーチも心配は私達の心を腐食する最も強いものであり、心配や不安の心を持たないことが人生で重要だと諭していた。銘記したいことである。

目的は個人的な願いを超えていなければならない 2005年7月13日

 ネイティブ・インディアン オグララ族の大聖人と言われるフールズ・クロウは奇跡的な治癒も起こすメディスンマン(治療師)でもあった。その彼の示唆に富む数々の言葉が記録された『フールズ・クロウ 智慧と力』の中からがんを治す際の心構えの参考になりそうなところを掲載したい。

 「患者は毎日の治療が終わると夕食を済ませ、その後は床に就くまで自分とワカン・タンカ(創造の神(聡哲注))のかかわりに静かに瞑想するようにと指示された。瞑想には深い呼吸と祈りが伴い、その祈りは嘆願と傾聴の二つのパートから成っていた」

 「なによりもまず、患者が祈りの中で強調しなければならないのは、自分は他人の役に立つ人間になるために元気になりたいと願うことだった。長続きする成功を収めるためには、治療の目的は個人的な願いを超えていなければならなかった。

 フールズ・クロウがよく強調したのはこうした治療や癒しは共同体のためになされるということだった」出典:『フールズ・クロウ 智慧と力』トーマス・E・マイルズ著、澤西康史訳、中央アート出版

 →転移が進んで病院のベッドで中心静脈栄養の補給を受けている方にはこれは困難なことかもしれない。しかし初期のがんで日常生活を普通に送れる方にはこの「人のために役立つことをするために治りたい」と願うことは可能ではないか。

 引き受け氣功の「あなたの闇を引き受けます」という言葉も、前述の「人のために治りたい」と願うことも、他者のために生きることが自分を活かすという重要な法則の実現に繋がっているから、奇跡的な治癒も起こるのではないだろうか。

自律神経免疫療法 2005年9月21日

 今日、患者さんから自律神経免疫療法で治療して欲しいと依頼された。
 その方は近くのS大病院に入院されている方でこれまで病室に6回ほど往診しに行った。肺がんで食道リンパ、気管支リンパに転移していて手術は不可能な状態。胸水があり間質性肺炎を起こし微熱のため抗生剤も投与されている。経鼻的に酸素供給がなされ、胃ろうも開設して栄養供給されており既に4ヶ月ほど口から物を食べていない。導尿もしていて体中パイプに繋がれている状態だ。幸い痛みはないが痰が切れず、ゼロゼロと苦しげな呼吸をされている。

 これまで足の三里、陰陵泉、尺沢、曲池、中府などの経穴に物理的には接触するくらいの鍼、想念では3センチくらいの鍼を刺入し、異界の先生方に治療依頼しつつ自分は愛情を注ぐというような治療をしてきた。合わせて同経穴に灸をしてきた。そして治療後毎回持参したハープを奏上してきた。

 きつい積極的治療は困難と判断し体に負担の少ない柔らかな治療をしていた。ところが今日は治療後に本人から筆談で「自律神経免疫療法をしないのか」と問われたのである。
 この方の場合は奥様から治療依頼があった。巷で話題の自律神経免疫療法をしているH市のSクリニックに奥様が問い合わせたところ、そこでは診れないから私を紹介する、とのことで電話がきたのだ。そのクリニックの先生とは安保徹教授の講演会で知り合い時々患者さんをこれまで紹介して頂いていた。

 しかし現在では私は自律神経免疫療法は治療に取り入れてはいない。そのためその旨を奥様に申し上げたのだがそれでもいいので治療に来て欲しいとのことで往診を始めたのであった。だから冒頭の依頼をされた時にようやく私は奥様から本人にはそういう話は伝わっていなかったのだなと理解できた。

 自律神経免疫療法は私見では積極的、攻撃的治療法と考えており今のこの方にはきつすぎるのではないかと判断していた。その旨申し上げたが是非にとのこと。困っているところに奥様が病室に戻られたので二人で病室を出て奥様に体に負担が多い恐れがあると忌憚なく述べた。

 すると「本人はとにかく積極的になんでもやりたい、どんな辛くても治療を受けたい、頑張りたいというタイプで、何もしてないことに耐えられないのです。治療でかえって悪くなってもよいからして欲しい」と仰る。

 私の治療は私のHPの私の目指すものにも述べているように肉体の治療という手段を通して魂の気付きのきっかけになれれば幸いだと考えている。そのためこの方の場合にも初診の際にはこれまで自分で癌を治してきた方の多くに気づきがあったことや魂のこともお話させて頂いた。そっと足元に置くという感じで。

 しかしこの方はとにかく病と闘う、死と闘うというスタンスであった。なのでこれから私はその線で治療をしていく。次回からは自律神経免疫療法を使うことになるだろう。
 現実界においては現実的対応をしていかねばならないこと、顧客のニーズに合わせられることがプロの条件と考えれば当然のことではあるし、自分の価値観は押し付けるものではない。まして命を懸けた切実な願いであるのだから。

 今ようやく気付く。抗がん剤治療のみしか手持ちのカードがない医師が患者からきつくてもいいから治療をしてくれと懇願されれば副作用がきつくても採用せざるを得ない場合もあるのだろうことを。そしてその時の医師の苦衷の胸の内を。

 治療は難しい。いや、どんな仕事だってそうなのだろうけれども・・・。今回も大きな学びとなるだろう。

『母なる風の教え』から学んだこと 2005年10月3日

 「我々ネイティブ・アメリカンにとっての医療、まじないとは単なる薬草や医師が受ける訓練だけにはとどまらない。人々が生きがいを得られるように手助けをすることなのである。新しい方向を指し示してこの道を行きなさいと言ってあげることが、癒しにつながる。助けの手を差し伸べ、人の気持ちを楽にしてあげて初めて、まじないを施したことになるのである」

 →重みのある言葉だと思う。ホリスティック医療、全人的医療というものがこの弓の島(日本のこと)でも叫ばれだしているけれども、それを既に古来から行ってきた、それも一人ひとりの個人のメディスンマンによって行われてきたことに、ネイティブ・アメリカンの人々の社会が健全であり続けてきたこと、人と人との間柄の近さ、濃密さを感じ、そして私は憧れるのだ。

 ここに示した短文では通り一遍の言葉になってしまうけれども、書中では筆者であるベア・ハートが戦没将兵記念日でさえ一枚のカードも来ない哀れな忘れ去られた傷痍軍人たちを病院に訪ねて、彼らに「神はあなたのことを忘れていない」と真心をもって語りかけることで彼らが癒されていくところを描写している。

 それが冒頭の文章につながっていく。まじない師、ヒーラーという者は技術によってなるものではあらず、心によってなるものである、ということだと思う。心して歩んでいきたい。

一人に一つの治療方法 2005年10月8日

 9:00~Pさん(乳)。里芋パスタを勧めているけれどもがんが大きくなって胸から落ちて治るのは怖いとのことで里芋パスタはせず、鍼灸で対応。昨日、引き受け気功に娘さんと初参加されたので、引き受け気功で大事なのは所作をまねる形ではなく、嫌なものを引き受ける、嫌いな、怖いがんを引き受けるということを心から思うことが大事だと思う、とお話しする。

 がんは夜中にブワンブワンバイクや車のエンジンをふかして騒ぎまくっている子供たちのように、根はいい子達が認めてくれなくて暴れている状態なんですよ、認めてあげて引き受けて愛情を注げばがんは変っていくと思いますと話した。これは寺山心一翁さんからも聞いた話。彼もまたがんに愛情を注いで治した人だから。

 10:00~Qさん(前立腺)。昨日の引き受け気功の話。人との関係、男女の関係について。波動整体療法を学びに行くとか。びわの葉温灸をする。

 11:00~Rさん(悪性リンパ腫)。抗がん剤2回目を昨日受けて今日はだるい。前回はふらふらでたどりついたのに帰りは元気に帰れたのが嬉しかったと。全身対応の鍼灸とびわの葉温灸。治療中に引き受け気功の話をしたら次回に参加するとのこと。『ガンはカゼと同じように治る』をお貸しする。娘さんの手当てが一番の効果があることをお話しする。

 2:00~Wさん(大腸がん腹膜転移)。便が出なくてお腹が張って苦しく夜眠れない。千葉医療センターまで片道2時間かけて往診。4人部屋ではへそ灸ができないので“処置室”で。処置室という言葉はないよなぁ。国立医療機関だからだろうか、この非人間的な言葉、医療をする側からの言葉。こういう言葉がまかり通っているから病院が気持ちいい場所になっていかないんじゃないかと思う。

 その処置室で生姜のへそ灸。これで前回治療後に3日間連続して便が出たとのこと。病院で娘さんができる方法だから自分でお母さんにしてあげるよう勧めるが、お灸の煙が部屋の天井備え付けの火災報知機を鳴らす可能性があるのでそれを防ぐためにガムテープで眼張りする作業が自分ではできないから、との理由でまた私が往診した際にへそ灸をすることにする。環境が整わなくて治療ができないのは残念なことだ。とこずれになりそうで痛いという仙骨と肩甲骨を鍼と小さなお灸あるいは電気ビワの葉温灸器(ユーフォリア)で血液循環をはかる。ハープで一曲奏上。

 5:00~Xさん(子宮頸)。5時5分前に治療院に帰り着いたら前で待たれていた。すみませんでした。体調は良好。いつもどおりの治療。造血の鍼灸。ユーフォリアで肝臓、下腹部、そけい部をアーユルヴェーダオイルを塗ってから温める。うつ伏せで腎ゆ、仙骨部、腰陽関穴を十分温める。治療中には保育園の話から始まって教育の話など。

 6:00~Zさん(肝臓)。中学の先生。子供が“壊れてきていて”本当に困って精神的に参ってしまう、とのこと。霊的な話をよく二人でするので「子供が憑依されているとしたらどうしたらいいか」という話など。先生に対する足かせ手かせの多さには同情を禁じえない。親が壊れているので子供がそうなるのも無理はないとも思う。教育を先生だけに任せては先生がつぶれてしまう。皆で、地域で子供を育てないと。肝臓に対する鍼と灸、ビワの葉温灸器による脾、胃、肝臓部への支配神経の出る脊柱部位への温熱刺激、そして手からの生命エネルギー投入。

 今日は久しぶりに休みなしの一日だった。それにしても一人ひとりにまったく違う治療をしているな、と気付く。でもそれが正しいと思っている。オーダーメイドが当たり前だろう。

緩和ケア病棟の使い方 2005年10月29日

緩和ケア、ホスピスというと“死を看取るところ”というイメージがあるがそれは払拭してもらいたい。確かに手の施しようのない状態の方が入院されている場合もあるけれども“緩和ケア外来”というような積極的治療が困難な症状(例えば腹水など)に対してのケアを行うところもある、疼痛などに対する手法に秀でた医療機関という風に捉えなおしてほしいと思う。

 今日はその緩和ケア科に転院したQさんを往診したのだけれどもこれまでのつらい状態があまりに良く改善されていて驚いたことを述べてみたい。Qさんは原発不明の腹部腫瘍で腹膜播種のため腸閉塞状態になっていて自宅近くの医療センターに入院していた。当初は泌尿器科に入院していたがその後外科に移った。腸閉塞になったため口からの飲食はまったく禁止され経鼻チューブを腸の閉塞部まで挿入されてそこに溜まる消化液を体外に機械で排出していた。想像してみてほしい。鼻から喉を通して腸の奥底まで直径8mmくらいの透明チューブが差し込まれている不快さ、苦しさを。そしてこれはずっと取れないだろうと医師に言われていたという。

 毎日の3リットルに上る量の点滴、降圧剤のためか顔、足、腹部がむくんでいた。おなかもしょっちゅう痛かった。ぼくは往診時には生姜の“へそ灸”をしていたけれども効果は余りあがっていなかったと思う。

 それが今日、転院先の厚生年金病院(飯田橋)緩和ケア科に往診しにいったところ、経鼻チューブが外れているではないか。足やまぶたのむくみもすっきりしている。お腹の痛みもあまりなくなってしまったという。何より本人が以前より明るく元気になっていたのが嬉しい驚きだった。

 聞くところによると前の病院では点滴のし過ぎによるカロリーオーバーだったらしく何でも20代男性に処方するくらいのカロリーが投入されていたとか(ちなみにQさんは60代半ばの女性)。すぐに主治医が処方を変え、今では点滴量が激減し、常時接続でなくなり血圧も下がりむくみお腹の痛みも消えてしまったという。ようは“医原病”だったのだろう。そして経鼻チューブも転院してわずか3日で取ることができ、水分なら経口摂取可能とまでなった。

   主治医も「こうします」ではなくて「こういうふうに処方を変えるとこういうふうにかわるからぼくを信じてやってみませんか」というように提案して進めてくれるのでその点も嬉しかったとか。看護婦さんも親切だし今日はお風呂にもいれてもらい「女王様になった気分」を味わえた入浴だったと笑っていた。

 他の患者さんで広尾の日赤医療センターの緩和ケア科に入院していた方も「ここは天国よ~」と言っていたことを思い出す。そこで痛みの処置をしてもらって退院していった人もいる。このように緩和ケア科は優れて使い勝手の良い医療機関なのだ。

 がんという病気は時に現代医学的には治療困難な状態になって痛みなどの体の愁訴に苦しむことがある。そのような時には緩和ケア科を積極的に利用したらどうだろうか。痛みの緩和などが上手な専門医が当たっていることが多いのだから。

 治療の終わったあとは緩和ケア科のある階に併設された病院の屋上庭園片隅の東屋でQさんとご家族の前でハープを奏でた。風にのって天音が空に広がってゆく。Qさんにとっては久しぶりの外気浴であり紅茶付き野外コンサート。楽しんでもらえたようでぼくも心軽々と帰ってこれた。

緩和ケア 2005年12月11日

 今日は東京都大塚の日本鍼灸師会館で開かれた学術講習会にいってきた。

 演題および講師は、
1.がんの痛みを緩和する
   --モルヒネやほかのオピオイドlを中心として--
   日本赤十字社医療センター 緩和ケア科 部長 秋山修先生

2.Palliative期の患者に対する鍼灸
   --症例から学ぶ現状と問題点--
   東海大学医学部付属大磯病院 鍼灸治療室 高士将典先生
 だった。

 日赤の秋山先生のお話からはホスピスで使われる一般的な疼痛鎮痛薬の働きや特徴、最近のデュロテップなどの新薬の話などもあって参考になった。秋山先生には何度も面識があり日赤医療センター緩和ケア病棟に入院している患者さんのところへ往診に行って私が貼った皮内鍼を後日先生ご自身で張り替えてくださったり、と代替医療に理解を示してくださっていらしてとても有り難く思っている。

 今日の講演に対する会場からの質問への答えの中にあったのだけれども、緩和ケアの現場における医療人に鍼灸への期待や理解が薄いのでどうしても鍼灸師がチーム医療に入るのが難しいとのこと。「国立ガンセンターでは鍼灸師がチームに入っていてうらやましい」と仰っていたのでぜひ秋山先生には日赤医療センターの上司を説得して頂きたいと思う。

 高士先生の講演は初めて聞いた。コメディカル(医師を頂点とした医療チームの中の一員)として大学病院内で鍼灸治療を行ってきて、実際にペインスケール(痛みの程度を数値で表現したもの)の一つであるVAS(Visual Analog Scale:拷問のような耐え難い痛みを10としまったく痛みのない状態を0として患者に現在の痛みを10段階のうちでどれくらいか自己申告してもらうことで、治療前治療後の痛みの変化を知る)を使ったりして統計を取ってこられてきた。

 その結果、例えば電子温灸器の導入により痛みの緩和が図られたことで医師や看護師といったまわりの医療スタッフに「鍼灸は効くらしい」と認識してもらう一助になったこと、その後医療スタッフが鍼灸治療室に積極的に患者を回してくれるようになったことなどを紹介していた。

 また慢性疼痛には皮内鍼が予想以上に効果があることも報告をされていた。さらに刺絡というわりと刺激量の多い刺鍼方法も採用したことがあるなど興味深い報告もしてくださった。

 高士先生とは講演の後に個人的の話をしたかったのだけれどもすぐお帰りになってしまわれたようでちょっと残念だった。制約の多い医療現場でされている高士先生のことは尊敬するし、これからもいろいろ教えて頂こう。

がんの苦痛は取り除ける 2006年1月8日

 NHKスペシャル「日本のがん医療を問う」の第二夜「がんの苦痛はとりのぞける」を見た。緩和ケアをがん医療に積極的に取り入れることの必要性が訴えられていた。良かった。たぶんこれを機に緩和ケアがより取り入れられていくことだろう。簡単なことではないけれども。もちろん厚生労働省技官の発言は慎重でありその回答の仕方に不満も残るがNHKの影響は大きい。広島県の取り組みのようにデイホスピスなどがこれから各地に広まってほしいと思う。

 代替医療先進国のイギリスの緩和ケア事例が紹介されたのでもしかしたら代替医療が緩和ケアに貢献していることが映し出されるかと思ったが残念ながらそこまでは至らずあくまで現代医療の範疇での取り組みの紹介に終わっていた。

   番組の中でがん治療には初期の段階から痛みのケアとして緩和ケアを併用すべきとの示唆がされていた。正しいと思う。今の日本のように“生きるための治療”と“死を迎えるためのケア”に分離されていることは不幸だ。やはり諸外国のように初期から除痛にとりくむ必要がある。私がよく往診にいっている広尾の日赤医療センター緩和ケア科に勤務されている秋山治先生や茅根先生も「緩和ケアは決して死を看取る場所ではなくて痛みのケアをするところです。積極的に利用してほしい」と言われていて緩和ケア外来も設けていらっしゃる。12月に行われた秋山先生の講演も良かった。

 ただ現在痛みを止めるにはほとんどが鎮痛剤や鎮痛補助薬といった薬剤による対処になっている。場合によっては放射線治療も行われているけれどもいずれも必ず副作用はある。それを考えるとそれら薬剤に替わる鎮痛治療として鍼灸を採用してもらいたいと強く思う。私個人の経験に限って言えばこれまで緩和ケア病棟へ往診しにいって鎮痛に成功したことはあっても副作用を起こしたり病状を悪化させたことはない。末期がんの体の状態は複雑だ。薬剤でのコントロールはこちらを立てればあちらが立たずということも多いように見受ける。モルヒネで痛みは取れても猛烈な便秘になることもある。それらの鍼灸による治療で痛みを減らして鎮痛薬を減らすことは可能なのだ。それを知ってほしいと思う。

 末期がんの症状にさえ有効な鍼灸治療が初期のがん治療に貢献できないはずがないと思わないだろうか?がんの痛みの治療に鍼灸や自然療法で携わってきてその効果を知る者としてのぼくの持論である「がんになったら鍼灸院へ」というのは、「現代医学的ながん治療と平行して免疫力を高める鍼灸を同時に受けて欲しい」というものだ。なにもがんになったら第一選択肢として鍼灸院に行きなさい、と言っているのではない。古来痛みや諸症状を取る技術に優れた鍼灸ががんの治療に取り入れられていないことはぼくは国民的損失だと思っている。

 あわせて鍼灸師会も変わる必要があるだろう。1つには今の鍼灸学校の教科書には「がんには鍼灸治療は不適」とされてそのように生徒指導されていること。これは最近流行のEBMという“科学的根拠に基づいた治療”を判断基準とすると、鍼灸治療によるがんの治療データがないための結論であろう。ぼく個人は鍼灸は想念による治療部分が多いと思っているので鍼灸治療自体がEBMに馴染まないと思っているので「がんには鍼灸治療は不適」という扱いは間違いと思っているがこのことについてはここではこれ以上は触れない。ようは鍼灸師に対しての「鍼灸ががん治療に有効だ」という教育がなされていないことを改める必要があるということ。

 2番目はがんという病をもっと学ぶ必要がある、ということ。私自身もがんの専門病院で多くの患者さんに接するまではがんに対して誤った価値観を持っていた。そういう誤解に近い病気観を払拭して自分たちの技術ががんに有効だということを知ってもらいたい。もちろんぼく自身も昨年講演したように「鍼灸ががんに有効だ」というアピールをこれからもしていくつもりだ。

 今回の放映で緩和ケアに耳目が集まるだろう。さらに近い将来その緩和ケアの中に鍼灸などが取り入れられていくことを願っている。

サイモントン療法 2006年1月30日

 28日土曜日には統合医学講座のセミナーでサイモントン療法講座を聞きにいった。サイモントン療法とはカール・サイモントン博士が生み出したイメージ療法で『がんのセルフ・コントロール サイモントン療法の理論と実際』創元社、1982年)で有名になったのではないか。今回はサイモントン療法認定セラピストとして活躍されている川畑伸子さんのお話だった。

 私は実際に6年ほど前にサイモントン博士とお会いしたことがあるけれども、彼の前著『がんのセルフ・コントロール』に出てくるイメージ療法にはあまり賛成できなかった。それは「がん細胞をミサイルでやっつける、マシンガンで打ち砕く」といったようなファイティングスタイルのものであり、この間がんを愛して自分で治した寺山心一翁先生や藤谷康充氣功師の“闇を光に変える”思考に出会ったことなどもありなおさら強く違和感を覚えていた。

 その私のこれまでサイモントン療法に持っていたイメージが今回の講座ではまったく変わってしまった。その旨を講演終了時に感想を述べると川畑先生も頷かれて「サイモントン療法も進化しているんですよ」と笑っていらっしゃった。

 とても参考になる内容の良い講座だったと思う。とくにビリーフワークといわれる認知療法の一つはがんと共にある人には役に立つものだと思われた。「健全思考へのアプローチ」とサブタイトルが付けられたこのワークのことを川畑さんはサイモントン療法のいい点の一つと挙げられていたけれどもぼくも同意する。「わたしは余命○○年しかない」という不安に苛まれている時に「私が○○年で死ぬことは事実ではない。健康を取り戻している可能性もある」などと反証をあげていって否定的な思考で埋まっている自分の頭の中をひとつずつ打ち消していくというものでこれはとても有益だろう。

 このビリーフワークはがんと共にある人にしか使えないものではなさそうだ。誰にでも、たとえ病と共にある人でなくても使えそうだ。否定的な感情が沸き起こるたびにこのビリーフワークをしていくと良いのだろう。

 他にも多くのことを教えてもらってノートにたくさんメモ書きしてきた。しかし体系的に学ぶ必要がありそうだ。ということで川畑さんが著した『がんのイメージ・コントロール法 ~サイモントン療法による癒しへの道』同文館出版、2005年、2,300円)を注文した。

心の浄化が肉体を変えるまでに至る時間について 2006年4月12日

 今日、患者さんの治療が終わる寸前に思い出したこと。それは病気と心の持ちようの間によこたわる時差、時間のずれのことだった。その方は乳がんなんだけれどもこの間さまざまな学びを経て今はとても心穏やかに過ごされている。でも胸の腫瘍のほうは少しずつ大きくなっていた。「どうしてなんだろう」といつもいぶかしく思ってらっしゃった様子。

 がんは心の持ちようや食生活、生活態度を変えることによって時に自然退縮をする。腎臓がんから脳、肺にまで転移してしまった寺山心一翁先生が「がんよありがとう」と心から言えたときからがんが治っていったと語られているのはよく知られていると思う。

 玄米菜食をしている、手当てなど各種療法をやっている、自助努力している、でもがんは広がっていく、なぜだろう、今やっている努力は無駄なのか?と思う瞬間は多くの人にあるはずだ。その疑問に答えとなっているかは分からないけれども今日、以下の文章をご紹介する。

 著者のベティ・シャインは「1929年英国ケニントンに生まれ幼い頃から透視や予知能力などの超能力を発揮する。様々な超常現象を体験し、心のエネルギーによって人を癒す力を身につける。有名な霊能者との出会いを経て、自分が治療家(ヒーラー)であることを自覚する。自分の特殊な能力を用いた治療活動を通じて、すべての人間が持つ心のエネルギーの素晴らしさを示し、患者の自己治癒力をも喚起する、新しいタイプの治療家である」と著書で紹介されている。

 この本はとても面白い。20世紀最大の治療家ハリー・エドワーズと並ぶ世紀屈指のヒーラーだった彼女の実体験が面白く語られていることと見えない世界への深い洞察から人は多くのことを学べるはずだ。その彼女が著書『スピリチュアル・ヒーリング』(ベティ・シャイン著、中村正明訳、日本教文社、平成三年)で次のように述べている。

 「心のエネルギーが理解できるようになると、当然のことながら私の診断にもその影響が現れてきた。透視による診断は現代医学の診断とは異なる。それは病気が最初に現われるエネルギー体の状態を診断する能力である。事実、私は病気が体に現われる少なくとも二年前にエネルギーの場にそのきざしが出ているのを霊視することができる。そして言うまでもなく患者の心のエネルギーの状態はエネルギー体の状態に強い影響を与える。したがって診断にあたっては心のエネルギーの状態にも注意を払わなくてはならない。」

 「透視による診断においては、体のまわりのエネルギーの場(オーラ)、エネルギーの場に通っているエネルギーの経路、体に備わっているチャクラ(エネルギーが集まっている場所)などを見る。私はストレスを受けている部位がどこかも言い当てることができる。それはエネルギー体は一つ一つの器官に至るまで体とそっくりそのままだからである」

 「オーラは七層から成っているとよく言われる。私には三つの層しか見えないが、病気の診断にあたってはこれで充分である。エーテル体と呼ばれることもある体のすぐ外側にある極めてはっきりしたオーラは、私が一番よく使うオーラである。その色は人々の思考内容や健康状態が変わるにつれ変化している。けれどもどの病気の場合にはどの色というように色の現われ方は決まっており、繰り返し観察することによって一つ一つの病気がエネルギー体にはどのように現われるかがわかるようになった」

 (中略)  「癌患者のオーラにはしばしば暗く生気のない部分が大量に見られる。何らかの器官を摘出されている人の場合にもオーラに暗い部分がある。エネルギーはまだその取り去られた器官の形をしているがずっとどんよりしている」

 「体の中にはエネルギーの経路も見える。これは鍼や指圧で言う“経絡(けいらく)”である。経絡は古代中国の透視力を持った人によって発見されたのではないかと思う。私にはそれは淡黄色の細い管に見える。経絡にはほとんど色のない(まわりに行くほど色が薄くなっている)部分が見えることがあるが、これは、その部分がつまっていてエネルギーの自由な流れが妨げられているということである。ヒーリングにおいてはこの流れをよくするよう心がけている」
 上記のような興味深い文章が三百ページ以上に渡って語られているのだけれども、ここで言いたいのは最初の太字の文章に述べられていること。この文章を逆に読めば「心のエネルギーが体に影響を及ぼすには2年近くかかる」ということ。たしか他の章でも1年半から2年くらいのタイムラグがあると語っていた気がする。

 がんに出あってさまざわなことに気づき心の持ちようが大きく変わり魂が浄化された。でも腫瘍はまだ体に厳然とある。そのとき大事なのはこの「川上の魂が浄化されたのちに川下の身体が浄化される(病が癒える)までには少なくとも1年半~2年のタイムラグ(時間の遅れ、ずれ)がある」という認識を持つことでくじけずに信じる道を歩むことではないか。

 腫瘍マーカーは依然として高い、腫瘍はまだ大きくなっている、転移もある、痛みも出てきている・・・。でも頑張ってほしい。もうすぐだ。もうすぐ身体が変わっていくから。そう思い続けて欲しい。

 もちろんこの“心の浄化と身体の浄化の時間的ずれ”が本当にそうなのか私にはわからない。しかし“物質はエネルギーが振動数を落として固体化したもの”という現代物理学から考えれば、浄化された心のエネルギーにより物質としての肉体が浄化されることはありうることだと思う。そしてそのとき重要なのが浄化された心(真心)から出る感謝や愛情であり、それを口で語ることでそれが言霊(ことだま)となり、美しい浄化された物質=肉体が形成されるのではないか。

 あなたの美しく新しい身体はもうすぐそこまで来ているのではないか。どうか恐れず弛まずそのまま学び続けてほしい、歩き続けてほしい。きっとがんは治るから。

HSP(Heat Shock Protein:熱ショックタンパク) 2006年4月18日

 先週の土曜日、冨田さんという鍼灸師の方がお見えになった。彼は門真市にある牧病院で癌の患者さんの治療にあたっているという。私のホームページを前から知っておりこのたび自律神経免疫療法の勉強会で研究成果を上司の医師が発表されるのでその方に伴って上京されたついでに立ち寄られた。

 さまざまな情報交換ができてよかった。大阪方面でがん治療をしている鍼灸院はないかという問合せは結構あって、そのたびに「いまのところ関西方面で自分が良く知っていて癌の治療をしている鍼灸師の方はいない」とお答えしていたからこれからは冨田さんのところをご紹介しようと思う。

 牧病院では炭酸の温水を浴槽にはってその中に1時間ほど患者さんに入浴してもらう治療を行っているらしい。なんでもこれは体温を上げた際にできるHSP(Heat Shock Protein:熱ショックタンパク)というものによって身体の免疫能をあげて病気を治すというもので詳しくは『HSPが病気を必ず治す』(伊藤要子著、ビジネス社、2005年)に書かれている。

 がんの治療法として温熱療法というものがあるけれども、これは私がかつて勤めていた病院でも採用していた。いくつかの種類に分かれるようなのだけれども牧病院で使われているのは炭酸温泉によるマイルドな温浴温熱療法らしい。

 炭酸温泉に入ると皮膚から炭酸が吸収されその結果として抹消血管が拡張し抹消の血液循環が良くなるという。その効果は長く続き風呂から上がって一時間経過しても抹消の血行は良く温かいとのこと。

 この炭酸温泉としては大分県竹田市直入のラムネ温泉が有名らしく、特に抹消の血液循環が失われ壊疽を起こす糖尿病に特に良く効くとのこと。冨田氏の話では「壊疽により足の切断手術が必要な45人の患者さんの36人が足を切らずに済んだということもあるそうです」とのこと。

 抹消循環が悪くなる糖尿病に効くのならがんにも効くのではないか。白血球中のリンパ球の数を増やそうという安保教授の提唱する自律神経免疫療法の効果をより高めるためには、血行を良くすることで増やしたリンパ球をキチンとがん腫瘍のある患部まで運ぶ必要があると思う。だから抹消の血行を良くするこの炭酸温泉浴はがんに効果があるのではないか・・・。実際に前述の本ではがん性疼痛緩和にも効果があるとされている。

 いま本当に効果があるかどうか自分自身で実験を始めたところで何かおもしろい結果が出たらご報告したい。膝のすぐ下あたりまで40℃前後の温水をポリ容器に浸し、その中に花王のバブ(炭酸が出る)を2つ入れて両足を突っ込み30分程度浸かっていることを始めた。確かに温水に浸かった部分の肌は真っ赤になっていて“足浴”としてとても気持ちがよい。

『癒す力はあなたの胸に』ガン回復物語から 2006年4月24日

 『癒す力はあなたの胸に』ガン回復物語(エリザベート・リュックハイデ著、シュミーク明子訳、春秋社、1999年発行)を読んでいる。

 著者のリュックハイデはドイツ人女性。若くして大企業の管理職となり社会的成功をこよなく愛していた彼女は乳がんになる。その後頬骨や肋骨、肺に転移するが生き方や考え方、心の持ちよう、食事を改めてこれを克服する。その闘病の経験から得たものを披露している。ガンの治療を「身体に対して」「魂に対して」「精神に対して」「食事療法の指針」などと明快に分けているところも小気味いい。がんに関わるすべての人に参考になると思うので一読をお勧めする。

 「私は西洋医学の助けを借り、食事の内容を変え、代替療法から心を安らぎで満たすための方法を学ぶことで、がんを治しました。身体、精神、魂の間に調和が戻れば、病気を治すことはできるのです。ですからこの本でお伝えしたいことは『決して諦めないでください』ということです。苦しい時、病気の時にこそ、私たちは一番成長しているのです」

 がんを治す過程で、重要だったのは次のことでした。

 1.病気を受け入れる。
 2.病気の原因を突き止める。
 3.医者にすべてを任せるのではなく、自分が病気を治す主役であり、責任者であると自覚する。
 4.どのように生きてゆくか、どのような治療を受けるかは、自分で検討し決断する。
 5.「課題」をさがし、最後までやり遂げる。
 6.治癒を信じる。
 7.どんな場合も物事を前向きにとらえ直し、不安に心を引き渡さない。
 8.柔軟な姿勢で、新しい挑戦にいどむ。
 9.「内なる声」に耳を傾け、それに従う。
 10.理性だけでなく、直感や本能も判断の基準にする。
 11.必要であれば、新しい道へ進み、その目標と意味を探す。
 12.心を喜びで満たし、喜びを表現する。そうすれば、不安が入り込む余地はなくなる。
 13.未来を思い悩んだり、過去を思い煩ったりしない。
 14.「今」をかけがえのない瞬間として生き、感謝しながら喜びのある毎日を過ごす。
 15.自分の力を強めてくれる人と付き合う。
 16.自分の強さは充分活かし、弱さは愛情深く受け入れる。
 17.他人のせいにせず、まず自分を省みることから始める。
 18.自分の個性を受け入れ、伸ばし、自分が作った限界をはるかに超えて生きる。
 19.心を開き、自分の力の源泉を探す。必要なものはすべて私たちの中に蓄えられているからだ。
 20.自分を癒し、幸せにできるのは自分だけだということを自覚する。

 今日、治療中に肝臓がんの患者さんにこれを聞いていただいたら「うーん、5~6個くらいしかできないなぁ」と笑っていた。そう、簡単なことではないと思う。これらは実行に移すのは大変だ。でも上の項目の“病気”という文字を“出遭う災難や困難”と読み替えればそのまま“人生を直す過程で重要なこと”となり、すべての人に参考になりうるものだろう。

がん、治っちゃったよ集会に参加して 2017年1月30日

長文です。

今日は午後診療をお休みにして、昨日に引き続き杉浦貴之さんのお話しを聞きにきました。20名くらいの参加者でした。

以下、内容の要約です。

・「治す」をナビの目的地に設定しない。これを通り越して楽しいこと、夢をゴールとすること。

がんを乗り越えるマインド10カ条

1。「がん=死」という思い込みを打破する。
2。「がんを治す」と決意する。
3。「がんは治る」と確信する。前例に出合いマインドセットを起こす。
4。治療、養生法が効いているイメージ。そして、がんを治した後の目標を持ち、未来の元気な自分のイメージを描く。
5。自分を受け入れる。自分の価値を認める。
6。発症を生活改善の『チャンス』、人生をより良くするための『メッセンジャー』と捉え、人生を楽しんでいく。
7。治療法は自分で決める。あふれる情報に流されず、自分の感覚を信じ、覚悟を決める。
8。闘病を隠さず、人に伝え悲しみも喜びも分かち合う。
9。人の支えに対し迷惑をかけていると思わなくていい。思う存分、支えてもらう。彼らへの感謝。
10。死を受け入れる。

・18年前、私が28歳の時に腎臓のがんと告知され、親には「早くて半年、2年後の生存率0%」と余命宣告されていた。
・その時までに自分が持っていたがんに対するイメージは「がん=死」だった。この思い込みを解いていくことが重要です。

・まず自分は上の2の「がんを治す」と決意した。
 そして治った人に実際に会いに行った。例えば寺山心一翁さんとか。

 自分が「がんを治せる」と確信するまで、心の腑に落ちるまで、この「治った人に会いに行く」ということを繰り返した。

・苫米地という脳科学者が「病は気で治る」と著書『がんを克服する脳』で言っているが、ここで言っている気とは"確信””腑に落とす”ということ。

・がんを克服できると確信すること、イメージの中で未来の自分が幸せに過ごしているところをリアルに想像する。これが大事。僕はこれで治した。

・ではなんで治した人に会うと元気になっていくのか?
 スポーツのオリンピックの世界記録の話だが、世界記録を出すにはもちろん栄養、環境などもあるが、「最後はその選手がどれだけ脳を変えることができたか」が鍵となる。これを「マインドセット」という。

・人間の脳は通常、自らの肉体が壊れることを避けるため限界まで能力を出すことを避けている、ブレーキをかけている。世界記録を出せた選手は少しばかりこのブレーキを緩めた人。そしてがんを治した人も同様に、このブレーキを緩めた人だ。

・日本陸上の世界で17歳の桐生選手が10.01秒という記録を打ち立てたあと、日本のジュニアの選手たちの記録が一気に上がった。これは若いジュニアの選手の気持ちの中に「僕たちにも9秒代を出せるかもしれない」という思いが芽生え、当人たちの無意識のレベルで脳がブレーキを緩めたのではないかと思われる。

・治った先輩たちに会いに行って元気になったので12年前にメッセンジャーという季刊誌を作り始めた。この本は僕が実際に会いに行ったがんサバイバーさんのお話をたくさん載せています。

・その中で最近印象に残っているサバイバーの方にMさんという方がいます。
 Mさんは今から10年前にスキルス性胃がんと診断されました。でも今でもお元気で過ごしていらっしゃいます。彼女は料理人で東北の海産物をイベントで販売していました。30年前に南三陸の大きな旧家に嫁いだのですがそこからの家族関係が厳しかった。

 ある年のお盆の直前彼女は吐血をし救急車で運ばれます。薄れいく意識の中でMさんは「あ〜これは今まで自分が我慢に我慢を重ねてきたからだ・・・」と思ったそうです。

 病院に運ばれ緊急手術で胃、膵臓、ほかの臓器も広範囲に摘出してなんとか一命はとりとめたものの「もう余命はない」と言われる状態だったとか。その後抗がん剤をしたものの肺に転移。その治療でしずかわ病院に入院している時に東日本大震災に遭遇。

 当時入浴中だったのにもかかわらず最後の大揺れで湯船から放り出され奇跡的にうまく着地、目の前にいた看護師さんが手にしていたバスタオルを放り投げてくれてそれを体に巻きつけて階上へ階段を上がろうとします。あれだけ大きな揺れの後には必ず津波が来ると思っていたそうです。

 ところが4階へ上がる階段にはそこまで辿り着いて動けなくなったお爺さんお婆さんたちが座り込んでいて上がっていけない。もはやここまでと思っていたらその方たちから「あんたなにをしている!早く上がって行きなさい!私たちを踏みつけていっていいから。若いあんたは助かりなさい!」と叱られ、泣きながら彼らの体の上を踏み越えて階上に上がったとか。

 そして津波が来るあと一歩というところで助かったそうです。その時、病気の自分が助かって申し訳ない、ごめんなさい、元気な人が自分の目の前を津波で流されていくのを見てなんで自分が生き残ってしまったんだろう、と思ったそうです。

 そして次の日の朝日を見た時、「私は生かされたんだ」と思え「スイッチが入った」そうです。それまで治すこととか考えてきたけど、もうそういうことにはこだわらない。未来も考えない。自分は病人だと捉えることもやめることにした。そして3時間かけて歩いて自宅まで帰ったそうです。

 そして自宅近くの避難所で毎日炊き出しをした。自分は病気ということを忘れて今目の前にできることをするだけでした。

 それから被災地に入ったテレビ局の放映でMさんが炊き出しをしている姿が映り、それをかつてMさんを診ていた医師の先生が見つけた。スキルス性胃がんだったのにずいぶんあれから日が経っている、その上あの多くの被災者を出したしずがわ病院に入院していたのに生き残って、さらに元気に炊き出しまでしている・・・

 その先生が彼女のその後を診てあげようと申し出てくださって検査をしてみたところ、肺に転移していたがんは消失していたそうです。Mさんの体からはがん細胞がなくなっていた。

 Mさんは「ただ、いま、自分が生きていることが奇跡だと思え、体に感謝をしました。そして自分ができることをしてきただけです」と。

・人はストレスを受けた時にコルチゾールというホルモンが出て、これが免疫を抑制、体にダメージを与えると言われています。
 しかし、ストレスをプラスに捉える、プラスの意味づけをした時には却って免疫が高まるそうです。これをPTSG(心的成長?すみません、聡哲、聞き逃しました)といいます。

 MさんにはPTSGが起きていたのではないか?
 そのあと、レストランを作りたいという夢を持ち、そして現在では多くの方の賛同を得てレストランを開業、営業されています。

 Mさんは自分が我慢を重ねてきたことが病気を作った、と言っていました。

・僕も子どもの頃から「自分はいい子になろう」「そうすれば家族が少しは平和になるから」と我慢をしてきた。
 そして自己評価がとても低かった。

・しかし28歳でがんを告知された時に母親が告知した医師に食ってかかってくれた。「冗談じゃない。私が治してやる」とも言ってくれた。そして「生きているだけでいいから」、「あなたが生きていてくれるだけで幸せだから」と言ってくれた。泣きました。 

・患者さんには「大丈夫だよ」とか治す力を引き出す言葉を投げかけてあげてください。

・看病する方も自分を犠牲にすることなく「自分の人生を楽しむ」ことをしてください。

・どうやってがんを治してきたか?
 ありとあらゆることをやってきた。26歳の時友人ががんで亡くなった。その2年後自分ががんを発症した。友人に勧めていたアガリスクを自分が飲んだ。これが最初の「希望」だった。完全に絶望していたのではなかった。細いながらも命綱があった。

 その後20種類くらいのサプリメントを試した。ほかにも温熱療法(ビワの葉温灸、イトウテルミー、三井式温熱療法などなど)、ヨガ、呼吸法、ツボ、お札、飲尿療法、五本指ソックス・・・1ミリでも体にいいものをやった。

 いま思えば3つのことが良かった。
手術したこと、仕事を辞めたこと、宮崎に引っ越したこと。
 これはいずれも手放したことだった。(がん細胞、仕事、実家)

 取り入れることも大事だけれども、治ることを邪魔するものをどんどん取っていった。合成界面活性剤、添加物、ネガティブな考え、人物・・・

 やめることは取り入れることより覚悟がいる。どういう思いでそれを選択していたか?自分の命の望む方向で行動していくとよい。

 医師とか誰かの言いなり、親の期待に応える、のではなく、自分が喜ぶ方向へ行く。

 特に自分が良かったと思ったことは「夢を持ったこと」と「自分ななんのために生きているか」と考えたこと。

 病気を治すために生きる・・・そんなのは嫌だ。
 「治る」ことは通過点で「これだ〜!」と自分がわくわくする、喜ぶ夢を設定したことが大きかった。自分はいろいろ妄想したがホノルルマラソンをもう一度走りたい、結婚したい、という2つの夢を夢想した。

 そして、「ホノルルマラソンを走り終えたゴールでフィアンセと抱き合い、次の日にハワイで結婚式を挙げる」という夢をリアルに想像し続けた。

 今までホノルルマラソンはもう走れないとか結婚なんかできないと自分で制限していたのをやめた。自分で自分の制限を外した。

 これが嬉しかった。自分を許せた。幸せを願っていい。涙が出た。

・「問題回避思考」では病気は治らない。「目的思考」でないと生きるエネルギーが湧いてこない。

・そして6年後、ホノルルマラソンを実際に完走した。
 この体験が「人間には無限の可能性があるのだ」ということを「体感」できた。これが非常に大きかった。

 これまでうちでは来院されたがん患者さんたちに実際に治っている人の話を聞きに行くことがとても良いですと話をするときにいつも寺山先生や杉浦さんの著書を紹介したりセミナーを紹介してきていた。

 杉浦さんのメッセンジャーも多く揃え、患者さんたちに貸し出してきた。

 今回、ようやく本人に会える機会が持てて良かった。実際に会ってみて声がいいこと、そしてなにより話が上手だなあと思った。

 今の時代、難しい話は笑って聞いてもらうことが一番いい。時折エロを交えて笑わせながらも大事なところ、ツボは外さず、体験からくる患者さんの役にたつヒント満載の話術はほんとうに素晴らしい。

 セミナーを聞かれていたランニング協会の方が「青山学院のマラソンチームの監督に推薦したい。マラソン人も病んでいる。彼らにお話を聞かせたい」と述べていたのも納得出来る。

 このあと札幌、長崎と全国のツアーが続くようですが、末長く患者さんたちに明るい希望を届け続けて欲しいと思った。
 杉浦貴之さん、ほんとうにありがとう。あなたがいてくれて嬉しい。
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