ハープによるお祈り

ハープのための十戒
ハープのための十戒
 治療後や往診時にハープを弾くことがあります。ハープといってもサウルハープというごく小型の持ち運びができるもので、これを診療ベッドの横で弾いてさしあげるのです。患者さんの心が少しでも安らかになりますようにハープの音に乗せてお祈りしています。

 ハープに出会ったのは2003年4月です。鍼灸師の友人である本宮栄子さんがDavid Rastasという当時20歳のオーストラリアの青年を紹介してくれました。彼は祖国オーストラリアからヨーロッパ、アメリカと世界中を旅して日本に来たのでした。サウルハープという小型のハープを携えて、街頭や路上で聖なる音楽を奏で周りの人々を癒していました。

 彼の弾くハープの音色に私はとても引き付けられました。小学3年生の学芸会の合唱リハーサルで、音楽の先生から 「遠藤君は本番のときは声を出さなくていいから。口だけパクパクしてなさい。」と言われたほど音痴だった私はその一件が決定的トラウマとなって以降音楽は大嫌いになってしまったのですが、成人してから楽器には興味を抱くようになり多少はギターを弾いたりもしました。しかしこのハープに出会った時ほどこの音色を奏でたいと心底思ったことはありませんでした。 

 当時、本宮さん宅や多摩川の聖フランシスコ教会の自習室で週に1回ほどDavidから手ほどきを受けました。 そして私にとっては無謀とも思えたのですが5月の母の日には下落合の聖母ホームで、ホーム在住の皆様の前で「母の日ハープコンサート」までやってしまったのです。Davidの言う「大丈夫。神様が付いていてくださるからきっとうまくいきます」という励ましを信じていたらできてしまったのでした。この時お受けした感謝の言葉を聴きながら「聖なる音色は他者のために」というDavidの言葉を体感したのでした。

 この時は本宮さんが借りてくれたハープをまた借りしていましたが程なくそれを返す時がやってきました。そして自分の手元からハープがなくなった時、激しく『ハープを弾きたい』と思ったのです。自分でも何故かはわかりませんでした。しかしある日、東横線に乗って眼下に広がる多摩川の河川敷を眺めていたとき、ふと「ああ、自分はお祈りをしたいんだな、それでハープを弾きたいのだ」と気づいたのです。

 当時、ご縁のあったがん患者さんの回復が芳しくありませんでした。鍼灸やびわの葉温灸をしても体が楽になりませんでした。腹膜播種を起こしている末期の胃癌のため回復が容易ではないのはわかっていましたが、自分が役に立てないことにとてもつらい思いをしていました。それがハープを弾いているときは一心になっていて、とても心安らかにいられることがわかったのです。

 しかし2003年6月当時の私にはサウルハープを買う金銭的余裕がありませんでした。数十万円もするものではないのですが患者さんも多くはなかったため収入も少なく、私には高値の花だったのです。でも美しい造形とその音色の魅力に惹かれて千駄ヶ谷の青山ハープにサンプルを見に行ったことがありました。その時、係りの人に分割払いができるか聞いてみたところ試算をしてくれました。しかし自営業であるため、割賦販売は受けてくれないだろうな、と考え申し込みはせずそのまま帰ってきました。

 この時本宮さんが「遠藤さん、神様にお祈りしてみたら?きっとかなえてくださいますよ」と言ってくれました。私は当時も今もクリスチャンではありませんがこの時は不思議に「マリア様にお願いしよう。そしてDavidの訓えのとおり、ハープを自分の楽しみのためでなく人のために弾くことを誓えば、きっと手に授けてもらえる」と思い、生まれて初めて神様に向かってモノをねだりました。

 そうしましたら9月6日になって突然青山ハープの係りの女性から「ご注文のハープができました。ついては割賦販売の申し込み書を送ってほしい」旨の連絡が入り、とても驚きました。自分としては申し込みはせずキャンセルしたつもりだったのですが、「これはきっとマリア様のご加護があるに違いない」と思い、申込書をお送りしたのです。ほどなくして審査に通った、ハープを宅急便で送る旨の連絡が入り、そしてついにサウルハープが私の手元に届いたのです。この時ほど神様は真摯な願いは聞いてくださるということを確信したことはありませんでした。

Davidが残していってくれた「ハープのための十戒」です。本宮さんが訳してくれました。
 汝、頭ではなく、常に心で奏でるべし
 汝、他者に印象付けんとして弾くべからず
 汝、ハープを奏でる時間を「練習」とみなすべからず
 汝、常に正しい手の位置を保つべし
 汝の手、弦を離れ宙に彷徨うべからず
 汝、両肘の下に雲を抱えて奏でるべし
 汝、ハープを通常の楽器とみなして、これを殺すべからず
 汝、週に一度は他者のために弾くべし 病院、老人ホーム、刑務所、公園、駅、教会、他どこでも
 汝、ハープは常に他者のために奏でられるのであって、それによって自身のためにも奏でられるものと心得るべし
 ハープの聖なる音色の力を過小評価するべからず

 ハープを奏でる時間は、祈りの時間そのものである。

 以来、ホスピスの病室や公園、神社などで拙いながらも奏でています。まさにハープは私の心に思っていることをそのまま音に乗せて思う相手へ届けてくれているようです。

戸隠の鏡池前でのハープ演奏